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壷阪寺(南法華寺)~ 清少納言もたたえた霊験あらたかな御寺 ~|画像たっぷり 奈良

奈良県中部

壷阪寺は、『壺坂霊験記』で知られますが、「 春はあけぼの・・ 」で始まる清少納言の『枕草子』で「寺は、壺阪、・・」 とたたえている霊験あらたかなお寺です。
正式には、壺阪山 南法華寺の山号、寺号ですが、通称 壷阪寺で親しまれています。
桓武天皇をはじめ、平安の昔より多くの人々に眼病に霊験あらたかな寺として信仰を集めています。
山寺独特の神聖さと、どことなくモダンな雰囲気を感じるお寺です。

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はじめに

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境内には、数多くの堂や石仏があり、近年のインドとの国際交流の中で、新たな様相を持つお寺になっていると感じます。
山腹に位置する境内や本堂からの眺望は、かつては簡単には来られなかったであろう霊験あらたかな地という印象も受けます。

壷阪寺(本堂)

歴史を感じるものと、新たに安置されたものが入り混じり今の時代の壷阪寺の存在を感じるとともに、古き時代においても新しさを感じる寺ではなかったのだろうかと勝手に想像してしまうたたずまいです。
ご本尊の千手観音には、眼病、縁結び、夫婦円満にご利益があるとされています。

     

壷阪寺の概要

壷阪寺(仁王門)

壷阪寺は、正式名称を壷阪山南法華寺といい西国六番の札所です。
創建は703年(文武天皇大宝3年)で飛鳥寺を創建した弁基上人によるものです。
弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりといわれています。

     

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平安期には、平安貴族達の参拝も盛んになり、一時は36堂60余坊の大伽藍であり、清少納言が枕草子のなかで、霊験あらたかな寺として、「寺は壺阪、笠置、法輪、・・」と最初に挙げているお寺です。

三重塔、礼堂(4回の火災で焼失し、現在の建物は1827年(文政10年)に建立されたもの)は、国の重要文化財です。

本尊は本堂の八角円堂に祀られる千手観音で、夫婦愛に軌跡をおこした目の観音様で、眼病の縁結びのご利益があるとされています。
「日本感霊録」のなかにこの壺阪観音の信仰によって開眼されたという説話があり、これをもとに浄瑠璃『壺坂霊験記』が創作され、一躍有名になっています。

壷阪寺(本堂)

本堂の八角円堂には、この『壺坂霊験記』の夫婦、「沢市の杖」も置かれており、 触れると良縁成就、夫婦円満になるといわれています。


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壷阪寺の画像ギャラリー

是非、壷阪寺の魅力をご覧ください。

ギャラリーの「画像をクリック」すると大きく見られます。
スマホでは、「スワイプ操作」で次の画像を見られます。

撮影:2021年(令和3年)3月

Photos by Catharsis  無断転載禁止 ©Catharsis 2021-2024


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ギャラリーの解説

  • 写真のように、壷阪寺は、伽藍が密集する印象の境内です。講堂があり、その先に仁王門があります。
  • 仁王門から階段を上ると、多宝塔、灌頂堂、その先に新しい十一面観音石像が鎮座しています。
  • 右手には、大釈迦如来石像と大石堂があります。
  • 更に階段を上ると慈眼堂に続きます。慈眼堂を抜けると左手に三重塔、禮堂、本堂があります。
    右手には、大観音像に向かう道があります。
  • お里・沢市の像は、本堂横にありますが、写真には収めていませんでした。
  • 当日は、大雛曼荼羅開催中で、大講堂と禮堂には、お雛様が並べられていました。
  • お雛様の正面の間から、本堂のご本尊も見えます(撮影可でした)。
  • 本堂の回廊からは、奈良盆地を眺望することができます。
  • めがね供養観音、澤市慰霊碑があり、その横には、佛伝図レリーフが続きます。
  • 道路を隔てた先に、大観音石像、大涅槃石像があります。
  • 五百羅漢は、いったん壷阪寺を後にして、高取城に続く道沿いにあります。
    五百羅漢まで徒歩で行く際は、軽い登山をするつもりでいかないと厳しい道のりです。

それぞれの解説は、以下の壷阪寺の見どころをご覧ください。


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壷阪寺の見どころ

仁王門

壷阪寺(仁王門)

1212年(建暦2年)建立で、貞慶解脱上人が建立に係ったと伝わっています。
古くは、室町時代と安土桃山時代の大修理があり、昭和にも解体修理を行ったが、平成10年の台風により屋根が半壊しました。平成15年に防災上の見地から建立場所を現在の場所に移設し、再度解体修理を行っています。
仁王尊の下駄も置かれています。

多宝塔

平成14年の落慶で、本尊に大日如来(平安時代)が祀られています。
多宝塔は9世紀に天台・真言の密教が興ってから密教寺院で建てられた塔であるが、壷阪寺の開寺1300年を迎えた平成15年に建立されました。
多宝塔の外見は二重塔であるが、本来は一重の宝塔のまわりに裳階(もこし)がついたものです。(二重塔ではありません。)

 灌頂堂(かんじょうどう)

壷阪寺(灌頂堂)

灌頂堂は平安時代に建立されていたと推察されています。二度の大火に遭いながら、その度ごとに再建されていたようですが、15世紀の大火の後には、再建の記録は見つかっていません。
現在の 灌頂堂は、平成17年落慶で、本尊に十一面千手観音菩薩(室町時代)が祀られ、豊臣秀長公像・本多俊政公像が安置(安土・桃山時代)されています。

天竺渡来 大釈迦如来石像

壷阪寺(大釈迦如来石像/大石堂)

平成19年11月開眼の身丈10mの石像です。御前立には、十一面千手観音菩薩像、文殊菩薩石像、普賢菩薩石像が安置されています。
こちらも、インドでの奉仕活動のご縁の一環で製作されたものです。
桜のシーズンには、桜に包まれる「大釈迦如来石像」が「桜大仏」と呼ばれ、多くの人が拝観に訪れます。

     

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三重塔(国指定重要文化財)

壷阪寺(三重塔)

三重塔は、1497年(明応6年)に再建されたものです。
三重塔の構造は、通常、手先の肘木を内側に延ばしてつなぐが、二段目、三段目の肘木もつないで構造を強化しているところが注目されている。

     

禮堂 (国指定重要文化財)

壷阪寺(禮堂)

禮堂は、本尊を礼拝するために建てられたものです。お寺の創建当初から、建てられていたと伝わっています。1096年に焼失、1103年に再建されましたが、鎌倉時代初期、室町時代初期にも焼失、再建されています。その後、江戸時代の大改築で規模も縮小されましたが、昭和解体修理時の発掘調査と残存部材から、室町時代の禮堂の姿に戻して、建てられています。

     

八角円堂

壷阪寺(本堂)

大宝3年(703)の創建で、ご本尊には、十一面千手観世音菩薩が祀られています。八角形の御堂で、現在の八角円堂は江戸時代の再建と言われています。
八角堂で著名な建物には、「法隆寺東院夢殿」「栄山寺八角堂」「興福寺北円堂」などがあるが、壷阪寺の本堂は日本で初めて建立された八角堂ではないかという学説もあるようです。
八角堂は、回廊をまわることができます。そこから見える奈良盆地の風景も素晴らしいものがあります。

お里・沢市像

本堂横には、投身の谷の上には、お里・沢市の像があります。
浄瑠璃「壺坂霊験記」で描かれる目の不自由な「沢市」と妻の「お里」の話は、壷阪寺の名を広めるものでした。

     

慈眼堂

平成18年の落慶で「阿弥陀仏」と「夫婦観音像のご分身」が祀られています。
江戸時代(1751年)、ご本尊に阿弥陀仏が祀られた阿弥陀堂が澤市投身の谷の横に建立されたと記録にあるようです。

壷阪寺(慈眼堂)

阿弥陀堂は、時代によっては観音堂として、壷阪の伽藍の一翼を担ったという記録もあります。しかしながら、御堂の建立場所が山間の湿気にさらされる場所であり傷みは激しかったため、ここに移設し、「慈眼堂」とされました。
二層目には阿弥陀堂にあった阿弥陀仏が祀られ、初層には平成23年の澤市開眼350年を記念して創られた夫婦観音像のご分身は祀られています。

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天竺渡来 大観音石像

壷阪寺(大観音石像)

昭和58年3月に開眼された全長20m(全重量1200t)の石像で、インドハンセン病救済事業のご縁でインドからご招来したものです。
66個に分割して、延べ7万人のインドの石工がすべて手造りで彫刻、製作し、日本に運ばれ組み立てられたものです。数万巻の写経と土台石が埋納され、 また、胎内には数万巻の写経と胎内石が納められています。

     

天竺渡来 大涅槃(だいねはん)石像

壷阪寺(大涅槃石像)
大観音石像と一緒に拝むことができます

平成11年安置された全長8mの石像です。大観音石像と同様、インドにおける奉仕事業のご縁で製作されたものです。涅槃像はすべての教えを説き終えて入滅せんとする釈迦の姿を顕しています。
釈迦の最後の説法は、釈迦がいる、いないにかかわらず、自らを頼りとし、正しい教えを頼りとすることを意味しているとのことです。

     

天竺渡来佛伝図レリーフ

壷阪寺(佛伝図レリーフ)

昭和62年安置された高さ3m、全長50mのレリーフ(釈迦一代記)で、南インドで、延べ5万7,000人の石彫師の手によって、インドの石に彫刻、製作されたものです。
原図は、奈良教育大学教授小川清彦氏がインドを旅して構図をまとめたものです。
他の寺では、あまり見かけないものですが、神聖な空間を作り出しているように感じます。

天竺渡来 大石堂

インド・アジャンタ石窟寺院をモデルとし造られた石の御堂です。最奥部には納骨室が設けられており、御霊を慰霊いただくこともできるようです。

     

五百羅漢

五百羅漢(壷阪寺)

奥の院とも称される本堂の東北麓、香高山斜面の岩肌に刻まれた石仏群があります。
これは五百羅漢として知られ、他に二十五菩薩像、五社明神像、両界曼茶羅などが点在します。
五百羅漢は、現在の壷阪寺境内ではなく、高取城に向う遊歩道(山道)にあります。


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おすすめ時期

壷阪寺夜桜ライトアップ

昼間の桜も見ごたえがありますが、毎年3月下旬から、4月上旬にかけて桜がライトアップされる夜間拝観が行われています。

日中の桜の画像は、こちら

開催期間:
 3月下旬~4月上旬

※ 桜の開花状況により、日程が変更となる場合もありますので、公式ページ をご確認ください。

桜と大雛曼荼羅の両方を見られる時期が、

お勧めですね。

壷阪観音お身拭い特別参拝

ご本尊の十一面千手観音様(室町時代)の御膝に触れることができる期間が設けられることがあります。

開催期間:
 公式ページ をご参照ください。

※ 入山料とは別に、500円必要。


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季節ごとに楽しめる花

山吹(4月上旬~5月中旬)
関西最大級(4,000株以上)の山吹が咲きます。

紫陽花(6月中旬~7月上旬)
境内各所に紫陽花が咲きます。

ラベンダー(6月下旬~7月中旬)
約1,000株のラベンダーが境内各所に咲きます。

紅葉(11月中旬~12月上旬)
境内のもみじや周辺の山々が色づき、山寺ならではの紅葉につつまれる風景となります。

     

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壷阪寺へのアクセス

アクセス

所在地:高市郡高取町壷阪3

最寄駅:近鉄 壷阪山駅

近鉄 壷阪山駅から

  壷阪寺前行きバス
  「壷阪寺前」下車すぐ

 

基本情報

拝観料  : 大人 600円

拝観時間 : 8:30~17:00

駐車場 : 500円

情報は、変更されている場合がありますので、詳細は、公式ホームページをご覧ください。
公式ホームページはこちら。


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壷阪寺に関係する豆知識

壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)とは

「日本感霊録」のなかにこの壺阪観音の信仰によって開眼されたという説話があり、これをもとに浄瑠璃「壺坂霊験記」が創作され、有名になりました。

壺坂霊験記では、「座頭の沢市(目が不自由でした)」と「お里」の貧しいながらも仲のよい夫婦が描かれています。

いつの日か、「お里」が毎晩床を抜け出すようになり、不審に思った「沢市」がこれを問いただしました。「お里」は、三年もの間、「沢市」の目の病が治るようにと間欠かさず壷阪寺の観音様に朝詣でをしていたのです。

「沢市」は「お里」を疑ったことを恥じ、盲目がゆえの不遇な暮らしを思い、「お里」を開放してあげたいという思いから身を投げてしまいます。ところが「お里」も「沢市」の後を追って自ら身を投げてしまいます。

二人の夫婦愛を知った観音様の霊験により、「沢市」「お里」は助かり、そればかりか「沢市」の目が開眼したという話です。

座頭市に名前が似ているようですが・・・

実は、「座頭」は職業を表し、「市」は名前を表します。
江戸時代には、盲目で頭をそり、あん摩をしたり、びわ、琴などをひく仕事をする人を「座頭」と呼んでいたようです。

つまり、座頭市とうのは、「盲目のあん摩師(または、びわひきなど)の市さん」ということになります。

   

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近隣の見どころ

高取城跡は、訪れたいところです。
壷阪寺からは、1時間30分程度の登山のような行程ですが、戦国時代のに思いを馳せられるスポットです。
(スズメバチ、毒蛇に注意という立札があり、季節によっては、注意が必要です。)

高取町の町屋、明日香周辺の寺社、遺跡巡りと合わせるといいと思います。


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