平城京・平城宮 ~ その場所は、歴史は・・奈良時代の都を知る ~ |いいところ 奈良

奈良市周辺(奈良県北部)
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平城京は、710年に藤原京から遷都され、784年に長岡京に遷都されるまでの74年間栄えた都市です。奈良時代の政治の中心地で律令制に基づく政治により国家の仕組みが整えられ、天平文化が花開いた場所です。ここでは、平城京・平城宮の場所や地図、歴史を交えて紹介しています。

また、政務が行われた平城宮があった場所は、現在も、平城宮跡としてほぼ全域近くが残っており、歴史公園となっています。

平城京について

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藤原京からの遷都

平城京は、元明天皇により、710年(和銅3年)に藤原京(現在の奈良県橿原市)から、奈良(大和)盆地を北にスライドするように造られ(現在の奈良県奈良市の中心部)、遷都されました。
遷都の理由は、様々ありますが、藤原京の都としての課題があったことや権力構図によるものだったようです。

藤原京については、詳しくは、こちら

当時の大和盆地には南北に縦貫するように幹線道路がありました。この幹線道路が造られた時期は、明らかではありませんが、「日本書紀」には「下ツ道」「中ツ道」「上ツ道」の名がそれぞれ記されています。

平城京の規模・つくり

平城京は、唐(中国)の長安をモデルに設計され、北端に天子南面となる平城宮が置かれました。

実は、藤原京では、藤原宮が京の中心に位置し、天子南面となる都ではなかったことも遷都の理由の一つとも言われています。

朱雀門前の「朱雀大路」

都市の規模は、東西約4.3km、南北約4.8kmの長方形とその東側に張り出すように、東西に約1.6km、南北に約2.1kmの外京が加えられる形で造られました。

朱雀門の正面から南北に、幅約74m(現在、朱雀門前に復元)という広さの朱雀大路が造られ、その西側が右京、東側が左京と呼ばれました。
町並みは、碁盤の目のように東西に「条」南北に「坊」と呼ばれる道が敷かれ、整然と区画されました。

「条」は、
平城宮の入口となる朱雀門前が二条大路(平城宮跡内で復元されています)で、平城宮から近い順に三条、四条となり、羅生門の前の九条まで敷かれました。

「坊」は、
朱雀大路を中心に、東に七坊まで、西には四坊まで敷かれました。

藤原京から、寺院も移設され、藤原京と同じように、右京には「薬師寺」、左京には「大安寺」(藤原京では、「大官大寺」)も、ほぼ対称的に置かれました。

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平城京であった場所は、現在のどこか?

実は、平城宮がどこにあったのかは、1899年(明治32年)まで、不明でした。
1990年(明治33年)に新聞紙上で発表され、世に知られることとなりました。
田畑となっていた広域のエリアの下に、遺構が眠っていたのでした。そして、発見後も、先人たちの思いと努力もあり、現在のような形で、残すことができているのは、感動的で、奇跡といってもいいかもしれません。

現在の地図(電車の路線図)や代表的な社寺と合わせて、平城京のおおよその範囲(赤枠で囲っている範囲)と平城宮の場所(赤く塗りつぶしている部分が現在の平城宮跡)を表してみました。

このようにして見ると、改めて、すごいと感じるのは、平城京に置かれた社寺が今も、その場所に残っているということと、何より、「平城宮」であった場所が、ほぼ全域に近い範囲で、「平城宮跡(平城宮跡史跡公園)」として、現在も残されているということです。

平城京の南端(羅城門)

都の南端には、平城京の入口となる「羅城門」が置かれ、そこから平城宮の入口となる「朱雀門」まで約3.7kmにわたり、幅約74mというとんでもない広さの朱雀大路が敷かれました。

羅城門跡は、現在の 奈良市西九条町付近 にあり、遺跡としては、それらしき痕跡は確認できる状況ではありませんが、近くに小さな公園が設けらて史跡の石碑が立てられています。
(少し下にも、地図を置いています。)

また、羅城門跡の説明板によると、平城京のエリアは、後の発掘調査により、羅城門の外側にも平城京の坪が、広がっていたことが分かってきているようです。

条坊と居住地の区画

「条」「坊」で区切られた区画は約530m四方で構成されており、この一画は「坪」と呼ばれました。

更に、その「坪」を16等分された区画が、「町」と呼ばれ、居住地として割り当てられました。

身分の高い人ほど、宮の近くに、広く割り当てられました。

ちなみに、藤原仲麻呂邸(田村第)が最も大きく、8町区画分(約7200㎡程度)ありました。
また、長屋王邸は、4町区画分(約3600㎡程度)で、現在は、商業施設が建っています。

一方で、宮から遠い、八条、九条辺りでは、一町を更に32区分した宅地(一区画 450㎡ 程度)の広さも確認されています。

諸説ありますが、約5万人~10万人程度の人が暮らす都市だったと推定されています。



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平城宮について

平城宮は、政治の中心地で、平城京の中央の北端に位置します。

平城宮には、天皇のお住まいとなる内裏や、政治・儀式の場である大極殿や朝堂院などの宮殿、役所の日常的業務を行う官衙(かんが=役所)や宴会を行う庭園など、都を治める官公庁が置かれていました。

東西、南北約1kmの正方形に加え東側に、東西約250m、南北約750mの張り出し部を持つ区画でした。
周りには大垣がめぐらされ、朱雀門をはじめ12の門が置かれました。
平城宮に入ることができたのは、皇族や貴族、役人や使用人など、限られた人々でした。

見どころがたくさんります。

結構広いエリアですので、見逃さないように、是非、こちらもご覧ください。

   

イベント情報も掲載しています。

二つの大極殿

大極殿は、天皇の即位などの大切な儀式がおこなわれていた場所ですが、平城宮にはこの大極殿の跡がの二つがあります。
現在、復元されているのは、前期の「第1次大極殿」です。

710年から、長岡京に遷都される784年までの75年間が奈良時代ですが、実は、聖武天皇の時代、740年~745年の5年間に、恭仁京、難波京、紫香楽京、再び平城京へと4回の遷都をしています。
710年~740年までが前期(前半)で、
745年~784年までが後期(後半)
と呼ばれます。

745年に再度、平城京に戻ったときに、宮殿や役所は大きく造り替えられています。このときには以前の大極殿があった東側に新しい大極殿が建てられました。
「第一次大極殿」「第二次大極殿」が存在するのは、前期と後期で大極殿が置かれた場所が異なるためです。

聖武天皇時代の遷都について

  • 聖武天皇の時代、疫病(天然痘)が都に蔓延しました。
  • この疫病により、政治の重責を担っていた藤原四子<武智麻呂(むちまろ)、房前(ふささき)、宇合(うまかい)、麻呂(まろ)の四兄弟>も、次々と病死してしまうという事態が起こりました。
  • 藤原四子の病死は、長屋王を謀反の疑いで、死に至らしめた祟りではないかともいわれています。
  • その後、九州の大宰府で藤原博嗣の乱が起こり、聖武天皇は、これを機に(身の危険を感じたのかもしれません)740年に平城京から恭仁京への遷都を行います。
  • その後も、遷都を繰り返しますが、災害や政変、反乱などが相次ぐ当時の社会不安を仏のご加護によって払拭したいと願う鎮護国家思想により「国分寺と国分尼寺をつくる詔」や、「大仏造営の詔」を発します。
  • 大仏は、当初、紫香楽の地に造営を進めますが、火災や地震が続いたため中止され、その後、改めて平城京を都とすることになります。(橘諸兄などの助言もあったようです。)
  • 745年に奈良時代後期となる平城京へ遷都され、大仏建立も、奈良の地に行われました。


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時の天皇と主な出来事

藤原京から平城京へ。
様々な苦悩と権力争いの中で、律令国家としての道を推し進めた時代です。

そんな時が、人々が、実際にこの地に存在し、生活していた、まさにその場所です。

奈良時代に思いを馳せて、平城宮跡の散策をしてはいかがでしょうか。

平城宮跡の見どころ、イベント情報は、こちら

現在の「平城宮跡歴史公園」の見どころを隈なく紹介しています。

<平城京の時代の主な出来事>

707年 元明天皇(女帝)が即位
710年 平城京に遷都
712年 「古事記」が完成
715年 元正天皇(女帝)が即位
720年 「日本書紀」が完成
723年 三世一身法が制定
724年 聖武天皇が即位
729年 長屋王が謀反の疑いにより自害(長屋王の変)
730年 光明皇后が皇后宮職に施薬院を設置
737年 天然痘が大流行、藤原四兄弟の死亡、他政権中枢部の貴族も多数死亡
740年 大宰府での藤原広嗣の乱をきっかけに、恭仁京(現在の京都府木津川市)に遷都
741年 国ごとに国分寺と国分尼寺をつくる詔を発令
742年 柴香楽宮をつくる
743年 「墾田永年私財法」の発布、「盧舎那仏造顕の詔」を発し、大仏の造営を開始
744年 難波京に遷都
745年 紫香楽宮に遷都後、再び平城京に遷都
749年 孝謙天皇(女帝)が即位
752年 東大寺大仏の開眼供養
754年 唐から鑑真が来日して戒律を伝達
758年 淳仁天皇が即位
759年 鑑真が唐招提寺を建立
764年 藤原仲麻呂の乱がおこる/称徳天皇(女帝:孝謙天皇の重祚)が即位
770年 光仁天皇が即位
760-770年 このころ、「万葉集」ができる
781年 桓武天皇が即位
784年 長岡京に遷都
794年 平安京に遷都
809年 平城天皇、嵯峨天皇に譲位し、平城宮を居地と定める
810年 平城上皇、平城遷都を計画するが失敗する(薬子の変)
864年 このころ、平城旧京の道路は耕されて田畑となる

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平城宮跡の見どころと画像ギャラリー

平城宮の跡地である平城宮跡の見どころと現在の風景をこちらのページに掲載しています。
是非ご覧ください。

Photos by Catharsis  無断転載禁止 ©Catharsis 2021-2022

平城宮跡へのアクセス

アクセス

所在地:
 奈良県奈良市二条大路南3丁目付近

最寄駅:
 近鉄 大和西大寺駅、近鉄 奈良駅、
 JR 奈良駅

近鉄 大和西大寺駅 から
 ・徒歩 約20分
 または、
 ・ぐるっとバス<大宮通ルート(青)>
  (土日祝のみ運行)
  「朱雀門ひろば」下車 すぐ

近鉄 奈良駅 から
 ・バス(奈良交通)学園前行き
 「朱雀門ひろば前」下車 すぐ
 または、
 ・ぐるっとバス<大宮通ルート(青)>
  (土日祝のみ運行)
 「朱雀門ひろば前」下車 すぐ

JR 奈良駅(西口)から
 ・バス(奈良交通)学園前行き
  「朱雀門ひろば前」下車 すぐ
 

 

基本情報

各施設とも入館は、無料です。

入館時間、休館日は、施設により、多少違いがありますので、上記の各施設の紹介の所に記載しています。

全般的に月曜日(祝日の場合は翌日)が休館のケースが多いです。

駐車場:
有料と無料の場所あります。
朱雀門ひろばの近くは有料です。

・県営奈良めぐり平城宮跡前自動車駐車場:
 有料(130台):200円/時間(500円/日)
・平城宮跡資料館駐車場:無料(20台)
・遺構展示館駐車場:無料(100台)
・東院庭園駐車場:無料(32台)

イベント等の際は、公共交通機関の利用を推奨されています。

※ 料金、時間、休館日等は変更になっている場合がありますので、ご了承ください。

近隣の宿泊施設

     

    

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