甘樫丘は、飛鳥の中心にある標高148mの緩やかな丘です。
飛鳥時代の飛鳥京の中心地にあり、645年の「乙巳の変」時には、ここに蘇我蝦夷、蘇我入鹿の邸宅があったようです。
頂上の甘樫丘展望台からは、飛鳥の里が一望でき、近くには飛鳥寺、また大和三山といわれる畝傍山、耳成山、天香具山も眺められます。
甘樫丘の概要
「日本書紀」にある記述から、飛鳥地域を見下ろすこの丘の中腹と麓に蘇我蝦夷と蘇我入鹿の邸宅があったようです。
遊歩道があり、山頂まで登ることができます。
山頂には、桜があり、桜越しに飛鳥の地を眺められます。
このほか麓には、季節により花が植えられるエリアがあり、菜の花、コスモスなどの花が楽しめます。
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山頂の甘樫丘展望台からは、飛鳥京の中心地であったエリアが一望できるとともに、藤原宮跡の方角には、大和三山の美しい姿を眺望することができます。
大和三山は、様々なところから観ることができますが、
甘樫丘の山頂からは、大和三山が、美しく見えるスポット
の一つだと思います。
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飛鳥時代の甘樫丘
こちらは、飛鳥資料館にある、飛鳥京中心地と甘樫丘のジオラマですが、天皇の宮を見下ろすような場所に邸宅が構えられ、当時の蘇我氏が握っていた権力の強さが伺えます。
甘樫丘東方遺跡として発掘調査が行われていますが、実際の邸宅の位置は、特定できていないようです。
おおよそこのような位置にあったのでしょう。
大化の改新のはじまりとなる645年の「乙巳(いっし)の変」は、御存知のことでしょう。
「乙巳の変」の前の動き・・・
実は、「乙巳(いっし)の変」の直前まで、蘇我入鹿は、かつての蘇我馬子邸であった嶋家(島庄遺跡)を邸宅としていたようです。
そして、「乙巳の変」を前に、中大兄皇子は、宮を「耳梨宮」(耳成山の付近と想定)から、嶋家に隣接するように「岡宮(後に 岡寺 となる)」に宮を移したといいます。
(「乙巳の変」のために、入鹿の動きを把握するためだったも言われています。)
するとその後、入鹿は、甘樫丘に邸宅を移したといいます。
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そして、「乙巳(いっし)の変」・・・
中大兄皇子・中臣鎌足らは、蘇我入鹿を 飛鳥宮(飛鳥板葺宮)で暗殺し、その後、飛鳥寺に陣を構えます。
迫られた蘇我蝦夷は、この甘樫丘の邸宅で自害したといわれています。
飛鳥京の中心地の大まかな地図は、こんな感じです。
日本が律令国家としての形を整えていく飛鳥時代、その大きな歴史の舞台となった場所です。
位置関係が分かると、より飛鳥の歴史に思いを馳せることができるように思います。
甘樫丘は、飛鳥の中心で、ずっと歴史を眺めてきた丘でもあるのですね。
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「甘樫丘」の画像ギャラリー
撮影:2021年(令和3年)3月
Photos by Catharsis 無断転載禁止 ©Catharsis 2021-2024
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ギャラリーの補足
無料駐車場の近くで春には菜の花と桜が見られました。
無料駐車場から甘樫丘展望台に向かう、遊歩道です。
途中に川原展望台もありますが、甘樫丘展望台まで散策するのがお勧めです。
甘樫丘展望台です。春には、桜も楽しめます。
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甘樫丘展望台から見る「大和三山」です。左から、「畝山(うねびやま)」「耳成山(みみなしやま)」、そして一番近くに見える「香具山(かぐやま)」です。
大和三山は、万葉集にも登場する山々ですが、甘樫丘展望台(山頂)からは、大和三山の美しい姿を観ることができます。
「春過ぎて 夏来たるらし 白妙(しろたえ)の
衣(ころも)干したり 天(あめ)の香具山」
飛鳥宮跡方面には、飛鳥寺と蘇我入鹿の首塚も見えます。
(ギャラリーで大きな画像が見られます。)
飛鳥を訪れたときには、是非立ち寄って、いにしえの時代、蘇我氏も目にしたであろう風景に思いを馳せながら飛鳥の地を一望してみてはいかがでしょうか。
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甘樫丘へのアクセス
所在地:
奈良県高市郡明日香村大字豊浦
最寄駅:
近鉄 橿原神宮前駅
駐車場:
有(30台)
※ 満車の時は、近隣に有料駐車場もあります。
近隣の見どころ
飛鳥時代の歴史の舞台、明日香村を周遊で一日過ごすことができるエリアです。
見どころも多いため、2,3日かけて巡るとさらに堪能できると思います。
飛鳥寺(蘇我入鹿の首塚)、岡寺、川原寺、橘寺をはじめ、飛鳥宮跡、酒船石遺跡、石舞台、謎の石巡り(亀石など)など史跡巡りなども楽しめます。
高松塚古墳、キトラ古墳なども近くです。
※ 自転車(レンタサイクルあります)での周遊がお勧めです。
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