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内山永久寺跡 ~ 西の東照宮といわれた幻の大寺の跡 ~

天理

山の辺の道沿いにある内山永久寺も跡地です。現在は、石碑と本堂池が残るのみですが、江戸時代には、西の日光と呼ばれるほどの豪華な堂坊を有したといわれます。
山の辺の道を遊歩する際にポイントとなる地で、春の桜の時期には、本堂池のほとりが華やかになります。

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内山永久寺の概要

石上神宮から、山の辺の道を三輪方向に約700m程度歩くと「内山永久寺跡」があります。
現在は、山の辺の道沿いに残る本堂池を観ることはできますが、かつての大寺の痕跡は、ほとんど見ることができませんが、池のほとりに立つと往年の風が流れるようです。

   

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内山永久寺跡の画像ギャラリー

 画像を「クリック」すると大きく見られます。
 スマホでは、タップで拡大後、「スワイプ操作」で次の写真が見られます。

撮影:2022年(令和4年)

Photos by Catharsis  無断転載禁止 ©Catharsis 2021-2024


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内山永久寺についてもっと知る(画像ギャラリーの補足)

「内山永久寺」は、1114年(永久2年)、鳥羽天皇の勅願により創建され、その時の年号(永久)と、寺域が法具の五鈷杵(ごこしよ)の形をしており、内に山が一つあったことから、「内山」の名を冠して「内山永久寺」と称したといわれます。
総院号は金剛乗院で阿弥陀如来を安置し、真言宗(古義派)に属していました。

鎌倉時代や室町時代の古文書からその隆盛を伺うことができ、1595年(文禄4年)には、豊臣秀吉公から971石の寺領が与えられ、法隆寺(1000石)に匹敵する大寺となり、盛時には五町四方の境内地に五十余坊の伽藍を持ったといいます。

     

本堂池跡

山の辺の道沿いにある「内山永久寺跡」の池です。
かつては、70近い伽藍が建ち並ぶ大寺の本堂池といわた地です。

     

萱御所石碑

1336年(延元元年)に、後醍醐天皇が吉野に遷幸する際に、一時立ち寄ったのが石碑にある「萱御所(かやのごしょ)」で、そこで身を隠したという歴史もある地です。

この時の逸話が石上神宮の鏡池に現在も生息する馬魚(ばぎょ)<ワタカ>と関係しているようです。
「馬魚」については、石上神宮の紹介のページ(→こちら)に記載しています。

     

内山永久寺の絵図

池のほとりに、かつての絵図が掲示されています。

江戸時代に描かれた「大和名所図会(ずえ)」をはじめ、数々の絵図で見ることができ、絵図には、塔頭(たっちゅう)や鎮守社を含め、70以上の建物が確認できるようです。

絵図は、石上神宮の本殿の回廊にも掲示されています。

     

     

     

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芭蕉の句碑

芭蕉の句に詠まれる内山永久寺の桜

若き日の「松尾芭蕉」もこの地を訪れたようで、池のほとりに、宗房(=若き日の松尾芭蕉)が、詠んだという句の石碑が置かれています。

   うち山や
     とざましらずの
       花ざかり

句は、松尾芭蕉(1644-1694)が、まだ、「宗房(むねふさ)」の号で出身地の伊賀上野に住んでいたころの作品といわれています。

松尾芭蕉が、いつこの地を訪れたかは明らかではありませんが、1670年(寛文10年)に刊行の「大和順礼」に収められていることから、この年以前の 23、4歳の頃 までに詠んだものと考えられています。

句の意味は、
 「内山永久寺の桜は、なんと素晴らしい花盛りなのだろうか
     (この素晴らしさは)ほかの土地の人には、知るよしもない」
という感じだと思います。

芭蕉がこの地で目にした桜の美しさへの感動が伺えます。

そして、現在も・・内山永久寺跡の桜の風景

現在も、かつての本堂池の周囲には、桜が植えられており、4月の桜の開花の季節には、静かに桜が咲いています。この時期に山の辺の道を歩くと、芭蕉の句碑も桜に飾られる中、その句の片鱗を目にすることができます。

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廃仏毀釈により、幻となった内山永久寺

貴重な仏像・障壁画・仏画等が散逸し、西の日光といわれた豪華な堂坊を有した内山永久寺でしたが、明治7年から9年までの激動期に礎石から瓦一枚に至るまで取り除かれ、その姿は消失したといわれます。
永久寺ほどの大寺院が跡形もなく消えたケースは、稀のようです。
ここまで失われてしまった要因として、寺運営の中心にいた亮珍(りょうちん)という僧侶が勤王思想の影響で廃寺を粛々と進めた結果だという説もあるようです。

石上神社に移設され、唯一その姿を残す鎮守社の拝殿

一方で、いくつかの建物は廃寺後もしばらく、現地に残っていた可能性もあるようです。
それでも、廃寺後の永久寺はすさみ、貴重な寺宝は寺外に流出してしまい、仏堂類は見るに忍びない状態であったようです。永久寺や鎮守社が現地で復興することはありませんでした。

そして、残っていた鎌倉後期の築とされる鎮守社の建物(国宝に指定)は、1914年(大正3年)に「石上神宮(いそのかみじんぐう)」に移設されています。

このほか、「石上神宮」 には、永久寺を偲ぶ伽藍図や永久寺と書かれた井戸のようなものが置かれています。

      
     


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内山永久寺へのアクセス

アクセス

所在地:
 天理市杣之内町

最寄駅:
 JR 天理駅、近鉄 天理駅

JR 奈良駅、近鉄 奈良駅 から

バス(奈良交通):桜井駅北口行
  「勾田(まがた)」下車
  徒歩約25分

基本情報

拝観時間・拝観料:
    自由散策

駐車場:
    なし

  • 古道 山の辺の道の道沿いにあります。 石上神宮から約700mの所にありますので、山の辺の道の散策の際に、通りがかることができます。
  • この地だけを目的に行くというよりも、山の辺の道をメインに訪れるのがお勧めです。

     

近隣の見どころ

近隣の見どころについては、日本最古の道といわれる「山の辺の道」の散策がお勧めす。山の辺の道、全般に見どころが点在ます。
そして、日本最古の神社の一つである「石上神宮(いそのかみじんぐう)」は、ここから、約700mの所にあります。

     

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