石上神宮 ~ スピリチュアルさを感じる日本最古の神社の一つ ~|画像たっぷり 奈良

天理
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石上神宮は、第10代 崇神天皇の時代に創祀(そうし)されたといわれ、古事記、日本書紀にも登場する日本最古の神社の一つです。
布留山(奈良県天理市)に鎮座し、県内の散策スポットとして人気の古道「山の辺の道」が通っています。ここでは、石上神宮を画像たっぷりに紹介しています。

石上神宮の概要

境内は、木々に覆われ、また、数多くの神様が鎮座されていることによるのかもしれませんが、清らかで、スピリチュアルな空気に包まれているように感じます。
古来より神の使いとされる鶏も放し飼いされているのも印象的です。

縁 起

  • 古事記、日本書紀にも「石上神宮」「石上振神宮(いそのかみふるじんぐう)」「石上坐布都御魂神社(いそのかみにますふつのみたまじんじゃ)」等と記され、「石上社」「布留社」などとも呼ばれていたようです。
  • ご祭神(主祭神)は、「布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)」「布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)」「布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)」の3柱で総じて「石上大神」とも呼ばれます。
  • 崇神天皇7年に、宮中にお祀りされていた「韴霊(ふつのみたま)=布都御魂」「布留御魂(ふるのみたま)」が、「石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)」に遷されたといれれます。
  • もともとは、本殿はなく、「石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)」の中央に主祭神を祀り「禁足地(きんそくち)」とされていました。
  • 武門の棟梁たる物部氏の総氏神でもあり、健康長寿や病気平癒、除災招福、百事成就の神として信仰されてきました。
  • 大和朝廷の武器庫だったという記録もあるようです。

中世以降の歴史

  • 中世~戦国時代には、抗争や戦乱により、衰退。
  • 明治に入り、1871年(明治4年)には官幣大社となる。
  • 1874年(明治7年)には、「禁足地」を「菅政友(かんまさとも)大宮司」による発掘が行われ、石棺に収められた御神体の「布都御魂剣」や、勾玉など数々の品が発見される。
  • 1883年(明治16年)には再び「神宮号」となる。
  • 1913年(大正2年)に、御本殿が造営。(「禁足地」は、残され現在も「布留社」と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれているようです。)

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「石上神宮」の画像ギャラリー

 画像を「クリック」すると大きく見られます。
 スマホでは、タップで拡大後、「スワイプ操作」で次の写真が見られます。

撮影:2022年(令和4年)4月

Photos by Catharsis  無断転載禁止 ©Catharsis 2021-2022


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「石上神宮」の参拝どころ

石上大神(いそのかみのおおかみ)といわれる御祭神は、崇神天皇(第10代)7年に石上布留(ふる)の高庭(たかにわ)に祀られたといわれます。『古事記』にも「この刀は石上神宮に坐(ま)す」(=御鎮座になっている)と記されています。

日本最古の神社の一つといわれるだけに、由緒も歴史も積み重ねられていますので、少し長い記述となります。

ご祭神は

主祭神(しゅさいじん) 3柱

布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)

神剣「韴霊(ふつのみたま)/布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)」に宿られる御霊威です。

  • 「布都御魂剣」は、剣神/雷神として祭られる「建御雷神(たけみかずちのかみ)」の神剣で、古事記や日本書紀の国譲りの神話の中で、逆さにしたこの剣の上に、「建御雷神(たけみかずちのかみ)」が座ったという話があります。
  • そして、神武天皇が熊野山中で危機にあった時、「建御雷神(たけみかずちのかみ)」が、神武天皇にこの剣を授けたといいます。
  • 神武天皇は、この霊剣により危機を鎮め大和国に入り、橿原宮で初代天皇として即位したといわれます。
  • 大和を平定したことから、「平国之剣(くにむけしのつるぎ)」と呼ばれることもあります。

鳥居の扁額には、この「布都御魂大神」が掲げられいます。

布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)

「布留御魂大神」は「天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)」に宿られた御霊威です。

  • 「天璽十種瑞宝」とは、「饒速日命(にぎはやひのみこと)」が天津神(あまつかみ)から授けられた十種の神宝で、”亡くなられた人をも蘇らす”という力が秘められてるといいます。
  • 後に「饒速日命」の御子「宇摩志麻治命(うましまじのみこと)」がこの神宝により、初代天皇と皇后の「大御寿命(おおみいのち)」が幾久しくなられることを祈られたといいます。
  • これが「鎮魂祭(みたまふりのみまつり)」のはじまりといいます。
  • その後、崇神天皇7年に、宮中にお祀りされていた「韴霊(ふつのみたま)」と共に、「石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)」に遷されたといいます。

布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)

「布都斯魂大神」は、古事記・日本書紀の神話で「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」が、出雲国(島根県東部)で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治するときに使った剣「天十握剣(あめのとつかのつるぎ)」に宿られる御霊威です。

配祀神(はいししん) 4柱

宇摩志麻治命(うましまじのみこと)

饒速日命(にぎはやひのみこと)の御子で、当神宮祭主(さいしゅ)物部氏(もののべし)の祖神と仰がれる神です。

五十瓊敷命(いにしきのみこと)

第11代垂仁(すいにん)天皇の皇子で、第12代景行(けいこう)天皇の兄で、当神宮の神庫(ほくら)の管理を司っていました。

白河天皇(しらかわてんのう)

第72代の天皇で、特に石上神宮への崇敬が厚かったといわれます。

市川臣命(いちかわおみのみこと)

第5代孝昭(こうしょう)天皇の皇子の「後裔(こうえい)」、「米餅搗大使主命(たがねつきおおおみのみこと)」の子です。


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境内

楼門(ろうもん)< 重要文化財>

後醍醐(ごだいご)天皇<第96代>の鎌倉時代末期、1318年(文保2年)に建立されたことが知られ、重要文化財に指定されています。
かつては、鐘楼門として上層に鐘を吊るしていましたが、明治初年の「神仏分離令」により取り外されました。

正面に掲げてある木額の「萬古猶新(ばんこゆうしん)」の字は、明治、大正の元老「山縣有朋(やまがたありとも)」の筆によるものといいます。

拝 殿 < 国 宝>

拝殿は、白河天皇<第72代>が、石上神宮の鎮魂祭(ちんこんさい)のために、1081年(永保元年)に宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えられています。
建築様式では鎌倉時代初期の建立と考えられます。
拝殿としては現存する最古のものであり、国宝に指定されています。

本 殿 ※非公開

本殿は、明治43年から大正2年にかけて神剣「韴霊(ふるつのみたま)」を安置するために建立されました。

もともとは、本殿はなく、「御本地(ごほんち)」として、中央に主祭神が埋められ、「禁足地(きんそくち)」とされ、諸神が拝殿に祭られていたといいます。
この伝承を確かめるため、明治7年に「大宮司 菅政友(かんまさとも)」が許可のもと「禁足地」の発掘調査したところ、多くの玉類・剣・矛などと共に神剣「韴霊(ふるつのみため)」が発見されました。

神剣「韴霊」が見つかったのは、本殿と拝殿との間で、現在は大きな石を置いて標示されているといいます。

摂社 出雲建雄神社拝殿(せっしゃ いずもたけおじんじゃはいでん)< 国 宝>

元来は、石上神宮の少し南にあった「内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)」の鎮守の住吉社の拝殿でした。
内山永久寺は1113年~1118年の鳥羽(とば)天皇の永久年間に創建された大寺院ですが、明治の神仏分離令により廃絶し、拝殿だけが荒廃した状態で残されていました。
1914年(大正3年)に出雲建雄神社の拝殿として現在地に移築されました。
内山永久寺の遺構として貴重な建築物で、国宝に指定されています。

摂社 出雲建雄神社(せっしゃ いずもたけおじんじゃ)

延喜式内社で、「草薙剣(くさなぎのつるぎ)の荒魂(あらみたま)」である「 出雲建雄神(いずもたけおのかみ)」がお祀りされています。
「出雲建雄神」は「布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)」の子神とも考えられ、「若宮(わかみや)」と呼ばれていたようです。
天武天皇(てんむてんのう)の時代に、「布留邑智(ふるのおち)」という神主に神の降臨のお告げがあり、神宮の前の岡の上に社殿を建ててお祀りされたとわれています。

末社 猿田彦神社(まっしゃ さるたひこじんじゃ)

主祭神は、「猿田彦神(さるたひこのかみ)」で、「 底筒男神(そこつつのおのかみ)」「 中筒男神(なかつつのおのかみ)」「上筒男神(うわつつのおのかみ)」「息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)」「 高靇神(たかおかみのかみ)」が、配祀神としてお祀りされています。
江戸時代には、現在地から東の山中にお祀りされていましたが、1877年(明治10年)に現在地に遷されたといいます。

摂社 天神社(せっしゃ てんじんじゃ)/ 摂社 七座社(せっしゃ ななざしゃ)

「天神社」に二座、「七座社」に七座がお祀りされています。
九座は、生命を守護してくれる宮中八神に、禍(わざわい)や穢(けがれ)を改めてくれる「大直日神」をお祀りしたもので、古くから鎮座されているようです。

天神社 二座
・高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
・神皇産霊神(かみむすびのかみ)

七座社 七座
・生産霊神(いくむすびのかみ)
・足産霊神(たるむすびのかみ)
・魂留産霊神(たまつめむすびのかみ)
・大宮能売神(おおみやのめのかみ)
・御膳都神(みけつかみ)
・辞代主神(ことしろぬしのかみ)
・大直日神(おおなおびのかみ)


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鏡池(かがみいけ)と 馬魚「ワタカ( 奈良県指定天然記念物 )」

鏡池は、古くは「石上池」と呼ばれていたようです。
この池には、奈良県の天然記念物に指定されている「ワタカ」という魚が生息しています。
ワタカは我が国特産の鯉科の淡水産硬骨魚で、別名を「馬魚(ばぎょ)」と呼ばれます。

「馬魚(ばぎょ)」と呼ばれる理由は?

馬のような顔をしているわけではありません。
この呼び名の由来については、次の様な伝説があります。

  • 南北朝時代、吉野に向かう後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が、追ってきた敵軍の赤松円心(あかまつえんしん)等の軍勢に内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)の萱御所(かやのごしょ)近くまで迫られたときに、ご乗馬の嘶きにより居場所を悟られないようにと馬の首を斬って本堂前の池に投じたといいます。
  • その後、その池に「草を食べる魚」が住みつくようになり、これをご乗馬の首が魚になったと考え、「馬魚」と呼ぶようになったと伝えられています。
  • この「馬魚」と呼ばれる魚が「ワタカ」で、1914年(大正3年)に内山永久寺跡の本堂池から、石上神宮の鏡池と、東大寺の鏡池に移されました。

万葉歌碑(まんようかひ)

境内に入る鳥居の近くに万葉歌碑があります。
旧内山永久寺の北門跡にあった敷石を使って柿本朝臣人麻呂の歌が刻まれています。

未通女(おとめ)らが 袖振山(そでふるやま)の 

  瑞垣(みづがき)の 久しき時ゆ 思ひき吾(われ)は

柿本朝臣人麻呂が、長年思う乙女への恋心を歌ったもの

と解釈される方もいるようですが、それはちょっと

違うような気がします。

『布留山(ふるやま)のあたりで、少女たちが袖を振るのを見ると、
瑞垣(玉垣)の中でご鎮座される「布都御魂大神(ふつのみたまのおおみかみ)」様が、
長い年月、人々を加護しておられるおかげだと、私は思う』

という解釈がしっくりときます。

少女たちが、袖を振って過ごせるような、平穏で、明るい世の中を見て、

柿本朝臣人麻呂が、感謝の意を詠ったものなのでしょうね。

神杉

境内には、樹齢300年を越える杉が数本あり、これが神杉と呼ばれています。
『万葉集』にも「石上布留の神杉・・・」と詠われており、神杉と呼ばれる杉が多くあったようです。

ニワトリ

境内には、天然記念物に指定される珍しい種類の鶏が放し飼いにされています。約40年程前から奉納されたり、繁殖しているもののようです。
ニワトリは、「古事記」「日本書紀」の天岩戸開きの神話の「長鳴き鳥」とも重ねられ、吉祥の霊鳥とされています。
暁に時を告げる鳥として、神聖視され、神様のお使いともされています。


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「石上神社」にまつわる知識

ご祭神が祀られた 崇神天皇7年 は、西暦では何年?

神武天皇の即位の日を皇紀(神武紀元)神武元年1月1日です。1873年(明治6年)に、これを西暦では、紀元前660年(BC660年) 2月11日とされました。
この日を「紀元節」として、現在は、「建国記念の日」となっています。

神武紀元から見ると(神話説)

  • 神武天皇は、紀元前711年(BC)に生まれ、紀元前660年(BC)に即位、紀元前585(BC)に、ご崩御されたことになります。127歳まで生きられ、在位は76年間に及ぶことから、神話・伝説上の人物ともされ、実在したか否かは謎のままです。
  • 神武元年が、紀元前660年(BC)としたときに、崇神天皇7年は、西暦では、紀元前91年(BC)ということになります。
  • ただ、これは、実在された可能性がある初の天皇とされる崇神天皇に関する諸研究とのギャップが大きいようです。

実在説では

  • 実在説では、在位は西暦200年~300年頃と推定されているようです。したがって崇神天皇7年も西暦での特定はできませんが、大体この頃ということになります。
  • 在位年代のほぼ確実な応神天皇(370~390)から世代を遡って算出したり、崇神天皇陵の考古学的研究などから、推定されているようです。
  • また、「古事記」に基づく、崇神天皇の崩年干支は、戊寅年で、推定される年代に近い戊寅をさがすと、ご崩御は、西暦258年、あるいは、西暦318年となるようです。

 あわせて、

  • 神武天皇の実在説もあり、その一つに、当時の日本では、現在の半年を1年と数えており、これを基に換算すると、神武天皇の即位は、西暦181年(AC)であり、ご崩御されたのも127歳ではなく、半分の63歳であったということになるようです。
  • これに基づくと、神武天皇の在位は、西暦で181年~284年ということになるようです。
  • ただ、この説も、どの時期の天皇までに倍年説をあてはめるかで変わってくるもので、決定的とは認知されていないようです。

神宮と神社の違いって何?

日本の神社には、大社(たいしゃ)や神宮(じんぐう)など、さまざまな呼び方があります。神社は、日本古来の神をまつる一般的な施設のことですが、神社にまつられるご祭神が皇室の祖先であったり、皇族と縁の深い神社が「神宮」の称号で呼ばれます。
ちなみに、全国に分社がある神社の総本社や、社格が高かった神社を「大社」の称号で呼ばれます。

ちなみに、奈良朝以前から「神宮」の号で呼ばれたのは、

「伊勢神宮」とここ「石上神宮」だけのようです。

「石上神宮」へのアクセス

アクセス

所在地:
 奈良県天理市布留町384

最寄駅:
 JR 天理駅、近鉄 天理駅

JR 天理駅、近鉄 天理駅 から

徒歩:
 約 30分~40分

バス(奈良交通):
 コミュニティバス「いちょう号」
 「石上神宮前」下車 徒歩 約10分
※ 本数が少ないため、徒歩がおすすめです。

基本情報

拝観時間:
   およそ 5:30 ~ 17:30 頃
 ※ 開・閉門の時刻は季節により変ります。
 (日の出から日の入りまでという感じです)

拝観料:
   無料
※ 拝殿は国宝であり、無断での昇殿はできません。(昇殿できるのはご祈祷依頼時(有料))

駐車場:
  有(無料:第1~第4まで多数)

情報が変更になっている場合がありますので、公式ページも合わせてご確認ください。

近隣の宿泊施設

   

   

山の辺の道にアクセスする JR桜井線(まほろば線)は、JR奈良駅からが便利です。

こちらでは、JR奈良駅、近鉄奈良駅最寄りのホテルや宿を一覧できるように紹介しています。

社寺参拝や史跡巡りには、奈良公園周辺で宿泊し、ここを拠点に奈良の魅力を満喫してみてはいかがでしょうか。

近隣の見どころ

石上神宮は、古道の「山の辺の道」の天理駅近辺(約2kmのところ)に鎮座します。
石上神宮からは、北方向の奈良市内に向かう山の辺の道(北コース)と南方向の大神神社に向かう山の辺の道(南コース)にアクセスできます。


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