藤原宮跡は、694年(持統8年)に遷都された宮の跡地です。現在は、広い野原がひろがる特別史跡となっており、季節ごとに「菜の花」「桜」や「蓮(はす)」「コスモス」などの花で彩られ、多くの人が訪れるスポットです。ここでは、藤原宮跡の花の風景を画像たっぷりに紹介しています。
藤原宮跡 春夏秋の花 画像ギャラリー
ここでは、季節ごとに観られる藤原宮跡を彩る花の写真を掲載しています。
藤原宮跡からは東に天香具山、西に畝傍山、北に耳成山の大和三山が望めるのも魅力です。
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撮影:令和3年 春、夏/令和2年 秋
Photos by Catharsis 無断転載禁止 ©Catharsis 2021-2024
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ギャラリーの補足
大和三山(香具山・耳成山・畝傍山)とのコラボレーションが魅力的です。
大和三山を取り込んだ都市設計は、天武天皇の発案によるものだとされています。
令和2年(昨年秋)は、コロナ予防のためコスモスの植栽が中止のため、自然に咲いたもののみでしたが、令和3年は、再開されました。
万葉集(まんようしゅう)にも詠われている大和三山は、平成17年7月に国の名勝に指定されています。
持統天皇歌はあまりに有名ですが、中大兄皇子(後の天智天皇で持統天皇の父)も万葉集でこんな歌を詠んでいます
香具山は 畝傍ををしと 耳成と相争ひき 神代(かむよ)より かくにあるらし 古(いにしへ)も しかにあれこそ 妻を争ふらしき(中大兄皇子)
「香久山は畝傍山が愛しいといって、耳成山と争った。神代の時代からそんなふうであるらしい。昔もそうだからこそ、今の世でも妻を争うらしい。」という意味のようです。
若き日の中大兄皇子の宮は、「耳成山」にあり、
大海人皇子の宮は「香具山」にあったといいます。
そして、「畝傍(山)」は、額田王(ぬかだのおおきみ)だと
言われています。
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大和三山を背景に撮影した画像
天香久山(あまのかぐやま)<香具山>
多武峰(とうのみね)山系から延びた尾根が、長い年月の浸食で、残った部分が香具山となっています。風土記(ふどき)には天から降ってきたという伝承も残っています。
持統天皇の歌はあまりに有名です。
大和三山の中で最も神聖視され、藤原宮の東側に位置します。標高は、152.4mです。
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畝傍山(うねびやま)
麓は神武天皇が宮をおいたところとされており、現在は橿原神宮や神武天皇陵の森が鎮座しています。
大和三山の中で最も高い山で標高は、199.2mです。見る方向によって違う形に見える山です。
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耳成山(みみなしやま)
大和三山の中では最も美しい円すいの形をしています。標高は、139.7mです。
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藤原宮跡の花の見ごろ
藤原宮跡では、春の「桜と菜の花」、夏の「蓮」「キバナコスモス」、秋の「コスモス」が見どころです。
桜と菜の花
4月上旬から中旬頃
約25,000平方メートル一面に菜の花が咲き乱れ黄色い絨毯が出来上がります。周囲にある桜が開花するのは、菜の花の開花開始よりもやや遅れますが、両方が開花する時期は、美しさが増します。
花蓮(ハナハス)
7月中旬から8月中旬頃
大極殿跡南東方向にある約3,000平方メートルのソーンに唐招提寺蓮など11種類が植栽されています。
花ハスについては、こちらをご覧ください。
黄花秋桜(キバナコスモス)
7月下旬 から 8月中旬頃
約7,000平方メートルにキバナコスモスが植栽され、ハナハスよりやや遅れて開花します。
ハナハスの隣にもキバナコスモスが植えられていました。
令和3年は、ハナハスの隣のキバナコスモスは、早く咲き、蓮の花と一緒に咲いていました。
秋桜(コスモス)
10月上旬から下旬頃
約30,000平方メートルという広いエリアに6~7種類300万本のコスモスが咲き乱れます。
令和2年(昨年)は、コスモスは植えられず、一昨年のなごりで、少しだけ咲いていましたが、令和3年は再開されました。
コスモスについては、こちらをご覧ください。
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花が見られる場所
それぞれの花が見られるゾーンです。
藤原京について
藤原京は、694年から710年まで 持統天皇、文武天皇、元明天皇 の三代にわたる都となった地です。
16年間という短い期間でしたが、日本が律令国家としての体裁を整えていく、とても重要な時代の都です。
藤原宮跡へのアクセス
アクセス
所在地:
橿原市高殿町
最寄駅:
近鉄 大和八木駅
JR 畝傍駅
近鉄 畝傍御陵前駅
近鉄 耳成駅
基本情報
入場料:
無料(自由散策)
駐車場:
あり(無料)
利用時間 8:30~17:00
公式ホームページはこちら
(開花状況も案内されています)
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