香具山は、万葉集や百人一首にある持統天皇の歌にも詠まれている山なのでその名をご存知の方も多いのではないでしょうか。藤原宮跡を囲むように鎮座する大和三山(やまとさんざん)<平成17年に名勝指定>の一つです。古来より天下の大事に際して登場する伝説のある聖山で、登ることもできるパワースポットです。
天香具山の概要
天香具山は、大和三山の一つ



大和三山は、「香具山(かぐやま)」「畝傍山(うねびやま)」「耳成山(みみなしやま)」です。
その中で、香具山は、百人一首の持統天皇の歌でもご存知の方も多いのではないのでしょうか。
その歌に詠まれた「天の香具山」です。
百人一首では、万葉集で詠まれている歌から、少し異なりますが、持統天皇にとっても飛鳥京の時代より目にしていた香具山には、特別な思いがあったのかもしれません。
140mから200m程度といずれも小さな山ですが、その位置関係やたたずまいは神秘的なものを感じます。香具山だけは、「天」を付けて「天香具山(あまのかぐやま)」と呼ばれます。


では、その理由も含め、下で紹介してみたいとお思います。

なんか、ワクワクしますね。
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大和三山は古来より、有力氏族の祖神など、この地方に住み着いた神々が鎮まる地として信仰が深く、皇宮を造営する好適地と考えられていました。
飛鳥京も大和三山の近くに置かれていましたが、本格的な都とする藤原京の造営にあたっては、この三山に囲まれる立地が重視されたと考えられています。
かつて、天智天皇、天武天皇が皇子であったころ、中大兄皇子(天智天皇)の宮が耳成山に、そして大海人皇子(天武天皇)の宮が香具山(香具山宮)に置かれていたともいいます。

大和三山のうち「畝傍山」と「耳成山」は盆地からそびえる死火山ですが、「香具山」は、桜井市の多武峰(とうのみね)北西にのびた尾根が長い年月で浸食し、切り離され小さな丘陵として残ったものです。
香具山の標高は、152.4mです。
和歌でも多く詠まれており、万葉の世界を代表する名所として広く知られています。
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信仰が深かった香具山(パワースポット)

万葉集でも、「天」がつけられる山は香具山だけで、特別な存在であったと考えられ、大和三山の中でも、特にあがめられたと考えられています。
古来から天に続く神聖な山、霊力・呪力をある山として信仰され敬われてきました。
歴代の天皇が香具山に登って「国を見る」ことで国土を治める儀式をしたといわれます。
また、俗には「竜王山」とも言われ、頂上には雨の竜王とも呼ばれる高寵神(たかおかみのかみ)をまつり、雨乞いの神事も行われたとも言います。
香具山を「天香具山」と呼ぶのは・・・
伊予国風土記逸文(いよのくにふどきいつぶん)の「天から降ってきた」という伝承から、「天香具山(あまのかぐやま)」とも呼ばれています。『古事記』や『日本書紀』に書かれる神話の中に、天上界(高天原)にも香具山が登場し、その天上界の山になぞらえられているということでしょう。
山麓には南に天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)、北に天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)、頂上には国常立神社(くにのとこたちじんじゃ)が鎮座しています。
かつては香具山と呼ばれ、「具」のない「香山」で「かぐやま」と表現されることもあります。(天香山神社にも「具」の表記がありません。)
また、現在の地名が、「天香久山」です。
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天香具山 画像ギャラリー
撮影:令和 3年 9月
Photos by Catharsis 無断転載禁止 ©Catharsis 2021-2024
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天香具山(画像ギャラリー)の補足
ギャラリーの画像は、天香具山山頂ー天香山神社ー天岩戸神社の順に紹介しています。
山全体にパワースポットと感じる空気感があります。
登山口

藤原宮跡を香具山に向かって歩いていくと、藤原京資料館があり、その先に香久山観光トイレがあります。この観光トイレの横に登山口に向かう道があります。

舒明天皇(持統天皇の祖父)の歌碑があるところに登山口があります。
この歌碑の所を左に行くと香具山神社に向かい、右に行くと天岩戸神社に向かいます。
香具山神社の境内にも山頂へ向かう登山道があります。
天香具山山頂
山頂には、 國常立神社(くにとこたちじんじゃ) が鎮座しています。 木に覆われる感じですが、木の間から畝傍山、耳成山も見られます。



國常立神社(くにとこたちじんじゃ)

天香久山山頂には南を向いた小さな社が二つ鎮座しています。
左側が國常立命(国土形成の神)を祀る國常立神社(くにとこたちじんじゃ)で、右側が、境内社として高靇神を祀る高靇神社(たかおかみじんじゃ)です。創祀年代は不詳です。
高靇神社(たかおかみじんじゃ)の社の前には、壺が埋められており、干天時、この水を替えると雨が降ると伝えられています。

古来、雨の竜王ともいわれた神社で、1798年(寛政10年)の石灯篭には「天香山竜王」と刻まれております。
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天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)

天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)<「具」の字はありません>は、古事記や日本書紀にも登場する神社で「延喜式神名帳」にある十市郡(といちぐん:奈良県(大和国)、にあった郡で現在の橿原市の一部)の「式内社天香山坐櫛真命神社(あめのかぐやまにますくしまのみこと(又は、くしまちのみこと)」といわれています。
櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)が祀られています。
ただ、櫛真智命神社は、山頂の國常神社のことで、天香山神社は、式内畝尾坐健土安神社(うねおにますたけはにやすじんじゃ)とする説もあります。
波波架の木(ははかのき)

境内には、「朱桜(にわざくら)」という古名で知られ、占いに用いられたと言われる「波波架の木(ははかのき)」が祀られています。
「古事記」の天岩戸神話(あまのいわとしんわ)では、天香具山(あまのかぐやま)の雄鹿の骨を抜きとって「朱桜(にわざくら)」の木の皮で焼き、吉凶を占ったとあります。
天岩戸神社(あめのいわとじんじゃ)

「天岩戸神社(あめのいわとじんじゃ)」は、香具山の南側の麓にあり、天照大神が、身を隠したという伝説のある天岩戸をご神体とする神社です。
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古事記の神話によると
その昔、天を照らす姉神さまの天照大神(あまてらすおおみかみ)は、弟神さまの須佐之男命(すさのおのみこと)の乱暴が怖くなり、天の岩戸に隠れてしまったそうです。
すると太陽が昇らなくなり、世の中は闇に包まれてしまいました。

困った八百万(やおよろず)の神々は、天照大神に岩戸から出てきてもらおうと集まり相談し、いくつかの対策を講じた後、 天宇受売命(あめのうずめのみこと)が舞を行うことにしました。
踊りの上手な天宇受売命(あめのうずめのみこと)が 、魔除けの笹の葉を持ち舞い、やがて神がかりしたような踊りとなり、神々は、手をたたき、大いに笑ったそうです。

天照大神は、何事かと思い岩戸を少し開け、外をのぞきます。その時に、力自慢の手力男命(たぢからおのみこと)が岩戸を開け、天照大神を外へ連れ出すことができたそうです。
これで、もとの明るい世になったといいます。
天岩戸の話は、古事記に書かれる高天原(神々の世界の一つ)の神話です。

天岩戸神社では、この天照大神が隠れたといわれる天岩戸(あまのいわと)をご神体としています。
本殿はなく、拝殿の奥の竹やぶの中にご神体の四個の巨石が鎮座しています。
古事記に記される天岩戸が、ここ香具山にあることに何か歴史的意味合いとロマンを感じます。
また、玉垣内に自生する真竹は「七本竹」と呼ばれ、 天宇受売命(あめのうずめのみこと)が 、魔除けに使った笹といわれています。
毎年七本が生え、別の七本が枯れるという「7本竹の不思議」が伝わっています。
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香具山を詠んだ万葉集の歌碑

大和には、群山(むらやま)あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原(くにはら)は 煙立つ立つ
うまし国そ 蜻蛉島 大和の国は
「舒明天皇(じょめいてんのう)」

春過ぎて 夏来るらし白袴(しろたえ)の
衣乾したり天の香具山
「持統天皇(じとうてんのう)」

久方(ひさかた)の天の香具山このゆふべ
霞(かすみ)たなびく春立つらしも
「柿本人麻呂(かきもとのひとまろ)」
天香具山へのアクセス
アクセス
所在地:
奈良県橿原市南浦町
最寄駅:
JR香久山駅
徒歩:約 25分
基本情報
自由散策
駐車場:
有(無料:5台程度) 香久山観光トイレ前
藤原宮跡駐車場から、藤原宮跡を散策を兼ね、
香具山まで歩くこともできます。
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近隣の見どころ
大和三山巡り、藤原宮跡、明日香巡りなどがお勧めです。
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