岡寺(龍蓋寺)~ 厄除けと美しい境内が魅力の飛鳥のお寺 ~|画像たっぷり 奈良

奈良県中部
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岡寺(龍蓋寺)は、西国三十三所観音霊場の第七番札所として信仰を集め、日本最初の「やくよけ霊場」としても知られます。
日本最大の塑像のご本尊は是非拝観したいところです。
また、春の石楠花やゴールデンウイークに行われる華の池、秋の紅葉の季節は、特にお勧めです。

ここでは、創建についても詳しく解説しています。

岡寺の概要

東光山の名の通り、山沿いに建てられた境内は、神聖な空気に包まれ、どこか心が浄化されるうな雰囲気があり、また、見ごたえもあります。季節ごとにリピートしてみたいと感じるお寺です。

西国三十三所観音霊場の第七番札所として西国霊場草創1300年来、第七番の観音様として信仰を集めています。
また、日本最初のやくよけ霊場としても知られています。
岡寺の創建は、およそ1300年前で、天智天皇の勅願によって義淵僧正が建立したものと説明されています。

ただ、創建時期の年については、特定できていない部分もあるようなので、

後ほど、少し掘り下げて迫ってみたいと思います!

ご本尊の如意輪観音坐像(重要文化財)は、天平時代作の日本最大の塑像(粘土や石膏(せっこう)を材料として作った像)で、塑像ならではの優しく、神秘的な趣であり、本堂内に浮かび上がるように拝めるさまは、見ているだけで心が洗われる気がします。

また、4月中旬頃から、5月初旬にかけては、約3,000本の石楠花が境内に華やぎます。また、ゴールデンウイークの期間には、手水舎とその横の池に天竺ダリヤで埋めつくされる「華の池」の行事も行われ、目を楽しませてくれます。

秋は、明日香村の紅葉スポットとして多くの人が訪れます。

「岡寺」には、「東光山 真珠院 龍蓋寺(りゅうがいじ)」という山号・院号・寺名があましたが、古来より「飛鳥の岡(地名)にある寺」であることから、「岡寺」の名で呼ばれてきたようです。
※ 現在は宗教法人名も「岡寺」となっているようです。

もともとの寺名「龍蓋寺(りゅうがいじ)」の由来は・・

「龍蓋寺」という名は、飛鳥の地を荒らし農民を苦しめていた悪『龍』を、義淵僧正が法力で池の中に封じ込め大きな石で『蓋』をして、改心させたことからその名が付いたと伝わっています。その後悪龍は改心し善龍となって今でも池に眠ると伝わっています。


この池は現在も「龍蓋池」として境内にあり、蓋となっている大きな要石を触ると雨が降るという言い伝えも残っているようで、昔は「龍蓋池」の前で請雨(雨乞い)の法要も行われたといいます。

また、悪龍の『厄難』を取り除き飛鳥を守った伝説は、現在まで脈々と続く岡寺の「やくよけ信仰」の始まりの所以の一つであるとも言われています。


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岡寺の画像ギャラリー

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岡寺の拝観どころ

仁王門<重要文化財>

1612年(慶長17年)の建立。明日香村の建造物では、岡寺の、仁王門と書院だけが重要文化財に指定されています。
1967年(昭和42年)~1968年(昭和43年)に大規模な解体修理が行われています。その時の調査から、ほとんどの部材が古材を転用、あるいは作り替えられて使用されており、古材は1472年(文明4年)の大風で倒壊し、翌年から再建に着手したが完成にいたらなかった「三重塔」のものであると推定されています。
四隅上にはそれぞれ阿獅子・吽獅子・龍・虎があり大変珍しい形態となっています。

扁額には、「龍蓋寺」が掲げられています。

本 堂(県指定文化財)

棟札(建築・修築の記録として、棟木・梁など建物内部の高所に取り付けた札)などから、現在の本堂は、1805年(文化2年)の上棟(基本構造完成)であり、すべての完成迄に30年以上かかったことがうかがえるようです。

4mを超える如意輪観音坐像(重要文化財)がご本尊様として安置されており、本堂の前に立つと、塑像の優しい姿が浮かびあがるようです。

一般の内陣参拝期間の際(4月~12月)は、本堂内でまじかにご本尊を拝むことができます。

龍蓋池

飛鳥を荒らす悪龍を義淵僧正が、法力により石の蓋で閉じ込めたといわれる池です。改心した龍は、善龍となって今もこの池に眠るといいます。

龍蓋池の奥には、十三重の石塔があります。

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鐘楼堂

正確な建立年代は不明です。
梵鐘には文化5年(1808年)と刻まれており、建築様式などから本堂と同時期に再建されたもののようです。
鐘の中央付近には、7つ穴があいており、これは先の戦時中に供出のため鐘の材質を調べる為にあけられた穴の跡のようです。
しかし幸運にも供出の難から逃れ(厄除けのご利益!?)、現在もその音色が明日香に響かせることができています。

鐘は、参拝者も自由につくことができ、境内には鐘の音が頻繁に響き、情緒を感じます。

楼門(県指定文化財)

楼門は、鐘楼の向かい辺りに建つ入母屋造の門です。
建立年代は、不祥ですが、仁王門と同種の痕跡をもつ部材が多く使われていることから、仁王門と同時期の慶長年間(1596年~1615年)頃に建立されたようです。
古くは内部に鐘を吊る鐘楼門だったようです。
また、2階部分には現在本堂に置かれる平安時代作の兜跋毘沙門天が祀られていたようです。
独特の形式を持つ小型の鐘楼門として大変珍しい遺構であるといわれています。

この奥には、書院(重要文化財)がありますが、拝観できません。

開山堂(納骨・回向堂)

開山堂は、本堂の西側に軒を接して建つ妻入り三間堂です。
阿弥陀三尊が安置されています。
多武峰妙楽寺(現在の談山神社)から移築されたお堂で、元は護摩堂であったと伝わるようです。
2004年(平成16年)から約2年で解体修理が行われ、その際に建立年代と思われる「寛政9年(1797年)」の墨書きや移築当時の棟札も発見され、明治4年(1871年)に廃仏毀釈の流れのためか、岡寺に移築されたことが明らかになっているようです。

三重宝塔

かつて、「三重宝塔」は旧境内地(現治田神社境内)に建っていたようですが、1472年(文明4年)の大風により倒壊してしまいます。
その後、勧進が進められますが、完成されず、やがて解体され、現、仁王門・楼門の部材に転用されることになります。
創建当時の塔についての詳細は分かっていませんが鎌倉時代初期に岡寺に三重塔があったことが「諸寺建立次第」によって明らかになっているようです。
その後も復興されませんでしたが、1986年(昭和61年)に約500年ぶりに再建され、2001年(平成13年)に完成されています。
特に軒先に荘厳として吊るされた琴の復元は、珍しいようです。

大師堂

昭和の始めの建立で、宗祖 弘法大師さまが御本尊として祀られています。
お堂の前にはお大師さま幼少期の「稚児大師像」と四国の地を巡り修行していた頃の「修行大師像」が置かれています。
身体健全や足腰の健全などを祈願しながら、なでてお参りされる方が多いようです。

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奥之院

本堂前、龍蓋池の横の参道を登ると奥の院に向かう参道があります。

奥の院参道中程には「瑠璃井」と言う井戸があり、お大師様ゆかりの厄除の涌き水といわれ、現在も清冽な水が滾々と湧き出ているようです(飲むことはできません)。
「けさみれば露岡寺の庭のこけ さながら瑠璃の光なりけり」と詠まれた風景の片りんを感じます。

さらに進むと、道の傍らには仏足石や石仏などがあります。この辺りには、4月中旬頃には、石楠花の花が埋めつくします。
つきあたりには、鎮守の稲荷明神社(如意稲荷社)があり、その右奥には「弥勒の窟」といわれる石窟堂があり奥には弥勒菩薩座像が安置されています。

開祖 「義淵僧正の廟塔」と伝えられる宝篋印塔があります。
保存は特に良好で相輪にいたるまで完存し、規模は大きくはないが全体の均衡がよくとれ、造立年次や由緒も明らかで、南北朝時代の宝篋印塔の好例であると言われています。

また、この辺りから、本堂周辺を見渡すことができます。

旧境内

治田神社

創建は、明らかではありませんが、延喜式巻十の延喜神名帳から、10世紀(平安時代)には、社があったとみられています。

岡寺の移築後に、鎮座したといわれていますが、古社地がどこであったかは不明です。明日香村豊浦付近にあったという説もあるようです。

ご祭神は、
・応神天皇(おうじんてんのう)
・素戔嗚尊(すさのおのみこと)
・大物主命(おおものぬしのみこと)

境内地から凝灰岩の基壇や礎石、瓦が出土しており、8世紀初頭の岡寺(龍蓋寺)の創建伽藍があったと推測されています。
寺の鎮守神として祀られていた可能性もあります。

足を運ぶ方は、少なめですが、岡寺の創建時の岡寺のエリアであり、是非合わせてお参りしたい神社です。

岡本寺

岡本寺は、岡寺に向かう民営駐車場付近にあります。小ぢんまりとした寺域に、本堂が建っています。

飛鳥時代、舒明天皇の岡本宮ともいわれる旧跡を伽藍として、「岡本寺」としたとも伝えられているようで、現在の本堂は、1988年(昭和63年)に修復されたものようです。

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おすすめの行事

変更されている場合もありますので、詳細は、岡寺ホームページ(→こちら)をご確認ください。

石楠花まつり

毎年4月中旬~5月初頭
約3,000株の石楠花を始め、牡丹・著莪(しゃが)・ツツジ・樹齢500年のサツキなどさまざまな花が境内を彩ります。

華の池

G.W期間中
(4月下旬連休より5月上旬G.W終わりころまで)
天竺牡丹(ダリア)を仁王門近くの池を中心に手水舍、本堂前の鉢に浮かべられます。
※ 年により曜日や花の都合で期間が変動するようです。  
 詳細は、公式facebook でご確認ください。
 


飛鳥 光の回廊

毎年9月中旬
明日香村で行われる『飛鳥 光の回廊』で、岡寺でも年に1度の夜間拝観が行われ、境内の灯籠・ライトアップも行われます。

紅葉まつり

11月の初旬・中旬~12月初頭
境内を取り囲む紅葉が境内を彩ります。もみじのトンネルとも言われ明日香村でも数少ないもみじのスポットです。


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岡寺へのアスクセス

アクセス

所在地:
 奈良県高市郡明日香村岡806

最寄駅:
 近鉄 橿原神宮前駅、近鉄 飛鳥駅

近鉄 橿原神宮前駅 東口より

バス(奈良交通):
 橿原神宮駅東口ー(岡寺前)
  ー橿原神宮駅東口 行(循環)
 「岡寺前」下車
 徒歩 約 5~10 分 

近鉄 飛鳥駅 より

バス(奈良交通):
 橿原神宮駅東口 行
 「岡寺前」下車
 徒歩 約 5~10 分 

※ 近鉄 岡寺駅には、バス・タクシーなどがなく、
 徒歩では、約1時間を要します。

基本情報

入山時間 :
    8:30~17:00
    (12月~2月は、 8:30~16:30)

拝観料 : 
   一般(大学生以上) : 400円

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飛鳥時代 岡寺の創建について思いをはせる

岡寺の創建について、私自身、少しわかりにくかったので、少し補足整理してみたいと思います。
少し、すっきりするのではないかと思います。(個人的に面白いです。)
※ 諸説あります。記載内容は、個人的な印象を含めています。

岡寺の創建について

岡寺の寺伝によると・・

  • 創建は、およそ1300年前(飛鳥時代末か奈良時代の初め頃と推定)で、天智天皇の勅願により義淵僧正が建立された。
  • 寺のパンフレットには、663年創建とも・・・。

しかしながら、663年といえば、

白村江の戦い(百済を助けるために朝鮮半島へ出兵)で

大敗した年でもあります。

朝鮮出兵による国土安泰を願ったもの?・・でしょうか・・

とも考えてみましたが、

   
しかしながら、草壁皇子は、天智天皇期の後の天武天皇期に、

「岡宮」を営んでいるのは間違いないようですが、

草壁皇子が生まれとされるのは662年(しかも、朝鮮行軍中)
ですので、生まれたばかりの草壁皇子の宮跡に663年に創建

という点には、違和感を感じてしまいます。

草壁皇子(くさかべのみこ)<天武天皇の皇子>が、宮とした「岡宮」の跡地に建立・・

  • 義淵僧正は、観音様に授けられた子として、天智天皇(※あるいは、天武天皇)に引き取られ、皇子※と共に養育され、後に出家し、元興寺(飛鳥寺)で学んだ僧です。
  • 後に、草壁皇子の宮跡(岡宮跡)が、仏教道場に改められ、当時仏教の指導者となってた義淵に下賜され、そこに岡寺が建立された。

※ 文献によって、天智天皇が引き取られたとされるものと、天武天皇が引き取られたというものがあります。
 

大友皇子や草壁皇子の生没年や史実などからみて、

天智天皇が引き取り、大友皇子と共に養育したと考える
と、しっくりとくる部分があります。

(個人的見解です。)

発掘調査からは・・

  • 創建は、旧境内の発掘調査で出土した瓦の分析から、7世紀末から8世紀の初頭頃と推定されている。
  • これは、草壁皇子が、皇太子(681年)となり、岡宮から嶋宮に移り、数年後に若くして薨去(こうきょ)(689年)された時期とも重なります。
    したがって、このころに岡宮が、義淵僧正に下賜されたのではないかと推定されます。

発掘調査で出土した岡寺の瓦の年代と、

草壁皇子が岡宮を使わななくなった時期がほぼ一致するというのも、

しっくりくるような気がします。

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義淵僧正とは

「扶桑略記」、「東大寺要録」などの岡寺の創建に関する伝承によると・・
大和国高市郡に子供に恵まれない夫婦が観音様に子が授かるよう祈りを捧げていたある夜に、家の外の柴垣で見つかり、家に入れるとよい香りが立ち込めたといいます。その子が義淵です。

この話を聞いた中大兄皇子(天智天皇)が、義淵を観音様の申し子だとして引き取り、岡宮で大海人皇子(天武天皇)の子の草壁皇子(662~689)とともに養育したといいます。

ただ、これは、先ほども述べた通り、

草壁皇子ではなく、大友皇子では・・?と感じます。

その理由は・・

  • 草壁皇子が生まれた年は、662年。まさに朝鮮出兵のため、中大兄皇子(天智天皇)も、大海人皇子(天武天皇)も九州に行軍中ではないでしょうか?ということです。
  • また、663年の白村江の戦いで、大敗をしたのちは、一旦飛鳥に戻りますが、すぐさま都を近江大津京に移し、飛鳥の地を離れています。
  • 草壁皇子もこの行軍のさなかに生まれているということになり、幼少のころを岡宮で過ごすタイミングはなかったのではないかということです。

とすると、義淵が引き取られて皇子と共に養育されたのは、草壁皇子が生まれる前の話で、斉明天皇の後飛鳥岡本宮の時代(656年~)に、岡宮が、中大兄皇子の管理下にあったときと考えると、そこで中大兄皇子の皇子(おそらく、大友皇子:656年には推定8歳)と一緒に養育されたと見るのがいいのではないでしょうか?
(皇太子の東宮として、嶋宮が、整備され、中大兄皇子は、岡宮から嶋宮に移りますが、岡宮も管理下にあったのではないかという推定です。)

その後、義淵は・・

  • 出家し、元興寺(現在の飛鳥寺)で仏教を学び、699年(文武3年)には、その学業が認められ、稲一万束を賜り、当代きっての傑僧(学識や修行に特にすぐれた優秀な僧)と言われます。
  • 703年(大宝3年)には日本で初めて「僧正」の位を得ます。

義淵の教えを受けた僧(門下)には、東大寺の基を開いた「良弁」、菩薩と仰がれた「行基」、その他にも奈良時代の高僧といわれる人が名を連ねます。

近隣の見どころ

飛鳥寺、酒船石遺跡、石舞台古墳、橘寺などを合わせて訪れてみるのがお勧めです。飛鳥のエリアは、全般の時間がゆっくりと流れるようなのどかさが感じられます。
(近隣の情報は、順次拡充し、紹介しいていきたいと思いますので是非ご覧ください。)

お得な情報

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最後まで、ご覧いただきありがとうございました。

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