スポンサーリンク

率川神社 ~ ゆり祭(三枝祭)で有名・大神神社ゆかりの社 ~|画像たっぷり 奈良

奈良公園

率川神社(読みは、「いさがわじんじゃ」)は、奈良公園の近隣にあり、JR奈良駅と近鉄奈良駅の間くらいに鎮座する小ぢんまりとした神社ですが、大神神社の摂社であり、奈良市最古といわれる由緒ある神社です。
毎年6月には、「三枝祭(さいくさのまつり)」<ゆりまつり>が斎行されます。
ここでは、三枝祭(さいくさのまつり)を含め、率川神社について紹介しています。

スポンサーリンク

率川神社の概要

推古天皇の勅により、創建された由緒ある神社(奈良市では最古の神社)ですが、通常の参拝者は、少な目です。
毎年6月に行われる通称「ゆり祭り」と呼ばれる「三枝祭(さえくさのまつり/さえぐささい)」の時は、境内を埋めつくすような参拝者が訪れます。

「三枝祭(ゆりまつり)」は、古代、疫病を鎮めるための行事で、大神神社の鎮花祭とともに、国の大切な祭礼とされ「大宝律令」(701年制定)でも、斎行することが決められていたものです。

約1400年の時を経て、見ることができる「三枝祭(ゆりまつり)」は、感慨深さを感じる祭礼です。

かの三島由紀夫氏もこの「三枝祭(ゆりまつり)」を小説『豊饒(ほうじょう)の海第二巻奔馬(ほんば)』の中の登場人物が「これほど美しい神事は見たことがなかった」と讃える描写があるのも、納得できる優美な祭礼です。(三島氏自身、感じるものがあってのでしょう。)

     

スポンサーリンク

     

率川神社の画像ギャラリー

このページの下の方に、「ゆりまつり(三枝祭)」について と、その様子を動画でも掲載していますので、是非最後まで、ご覧ください。

こちらのギャラリーでは、境内の風景とゆりまつりの様子を合わせて紹介しています。

 画像を「クリック」すると大きく見られます。
 スマホでは、タップで拡大後、「スワイプ操作」で次の写真が見られます。

Photos by Catharsis  無断転載禁止 ©Catharsis 2021-2024


スポンサーリンク

PR

[ PR ]

     

知っておきたい「率川神社」・・もっと詳しく

縁起は、推古天皇時代・・・

「大三輪神三社鎮座次第」という記録によると
593年(推古天皇元年)に推古天皇の勅(みことのり)により、「大三輪君白堤(おおみわのきみのしらつつみ)」という豪族が、春日邑(かすがむら)<現在の率川神社周辺>に「春日三枝神社(現在の 率川神社:いさがわじんじゃ)」と「春日率川坂岡社(かすがいさがわさかおかしゃ)(現在 漢國神社:かんごうじんじゃ)」を建て、媛蹈韛五十鈴媛(ひめたたらいすずひめの)命と大物主神を祀ったといわれます。
※ ただ、現在大神神社の摂社とさているのは、この両社の内 率川神社のみです。

延喜式神名帳には、「率川坐大神御子神社(三座):いさがわにいますおおみわみこじんじゃ」と記されているようです。

また、「子守明神」とも呼ばれおり、拝殿の扁額は、この「子守明神」が掲げられています。

     

飛鳥京の時代に、なぜこの地に・・

飛鳥京の時代に、なぜこの地にと思われる方もいらっしゃると思いますが、この地は、第9代 開花天皇の春日率川宮が置かれた地ともいわれており、近くには開化天皇陵もあります。
後に平城京が置かれる神聖な地であったのかもしれません。

      

そして「子守明神」と呼ばれる理由は・・

率川神社の社殿は、三社が連なった形で鎮座しています。
関連性はないかもしれませんが、なんだか、大神神社の三ツ鳥居を連想するような構成とも感じてしまします。
中央の御殿には、「媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)」が祀られてします。

左右の御殿には
向かって左に御父神の「狭井大神(さいのおおかみ)」、右には御母神の「玉櫛姫命(たまくしひめのみこと)」が祀られています。
まるで両親がよりそうように姫神をお守りになられる姿で鎮座されることから、「子守明神(こもりみょうじん)」と呼ばれます。
このことから、安産・育児・息災延命の神として、広く信仰されています。

ちなみに、この周辺の地名を本子守町(ほんこもりちょう)といいますが、ここから由来しているようです。

そして、
父神の「狭井大神」は生活全般の守護神であり、福寿の神である大神神社の「大物主大神」と同じ神様です。

先ほど紹介した 延喜式で「率川坐大神御子大神社」記されるのは、「媛蹈韛五十鈴姫命」が大物主大神のお子様にあたられるため といわれています。

     

皇后(しかも初代神武天皇の皇后)が主祭神とされる希少な神社

率川神社は、全国の神社の中で 皇后様を主祭神とした神社 は、数えるほどしかないという希少な神社でもあります。

そかも、その御祭神の「媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)」は、日本の創建にあたる 初代 神武天皇の皇后様 でもあります。

     

スポンサーリンク

     

率川神社の拝観どころ

本殿

現在のご本殿は一間社春日造、檜皮葺の社殿を南向きに三殿並列させたもので、近世初頭の形式を伝える建物として県の指定有形文化財となっています。
平成19年には江戸末期、文久2年(1862)以来の本殿保存修理が竣工し、朱塗りの色も鮮やかに甦っています。(ご祭神は、前述の通りです。)

     

摂社・末社

摂社 率川阿波神社(いさがわあわじんじゃ)

本殿の東側に、3つの社が鎮座しています。
中央が、摂社 率川阿波神社(いさがわあわじんじゃ)で、御祭神は、「事代主神(ことしろぬしのかみ)」です。
左右には、末社の春日社<御祭神 春日大神(かすがおおかみ)>・住吉社<御祭神 住吉大神(すみよしおおかみ)>が鎮座しています。


事代主神(ことしろぬしのかみ)は、大物主大神の御子神さまで、恵比須さまとしても信仰される神様です。奈良市最古の恵比須社であり、毎年正月4日の宵戎(よいえびす)、翌5日の本戎(初戎)には、商売繁盛を願う多くの参拝があります。

『延喜式』にも見える古社で、社伝によれば光仁天皇の宝亀年間(770年~780年)に藤原是公(ふじわらこれきみ)が創祀したと記されているようですが、当初は奈良市西城戸町に鎮座し、時代と共に衰微してしまい、明治期に小祠を残すのみとなっていましたが、その後、大正9年に率川神社の境内に社殿を建立し、昭和34年の率川神社境内整備に伴い、左右に鎮座する「春日社」、「住吉社」と共に現在の位置に遷座されたものです。

     

スポンサーリンク

     

遥拝所

本社 大神神社を拝む遥拝所が置かれています。

正面上部には三輪山が描かれた陶板画がはめ込まれており、率川の地より、大神神社の御神体である三輪山に思いを馳せて遥拝できるようになっています。

     

蛙石(かえるいし)

本殿の向かいに蛙石と呼ばれる石があります。その形状から「蛙石(かえるいし)」と呼ばれていますが、「カエル」という言葉から、「お金がかえる」「幸せがかえる」「若かえる」 「無事かえる」などにつながり縁起が良いとされています。
健康回復・旅行安全などを願って この石を撫でる人も多いことから「撫で蛙」とも 呼ばれているようです。

     

手水舎

遥拝所、蛙石と並んで、手水舎があります。
ゆりの花を形どった口より、水が注がれています。

     

率川とは・・

地元の人を除くと、あまり、聞きなれない名前かもしれませんが、現在は、地中を流れる川の名前で、今も猿沢池横を流れています
かつては、ここから、西に向かって流れていたと想定されます。

率川神社の付近の路地には、率川橋跡の碑もあり古の時代が偲ばれます。

      

スポンサーリンク

      

三枝祭(さいくさのまつり・ゆりまつり)

毎年 6月17日 に斎行される由緒ある行事です。

祭典では四人の巫女が「三枝の百合」を手に執り、神楽「うま酒みわの舞」が奉納されます。

三枝祭は、6月17日(10:30~)に斎行 されますが、
・前日の6月16日(15:00~)には、宵宮祭
・翌日の6月18日(10:00~)には、後宴祭
が斎行されます。

 宵宮祭は、三枝祭がつつがなく斎行できることを祈るもので、
  後宴祭は、三枝祭が斎行できたことへの感謝の祭礼です。

この両日の参拝者は、比較的少ないため、ここに参拝してみるのもいいかもしれません。

      

三枝祭では・・・

黒酒、白酒の神酒を「罇(そん)」「缶(ほとぎ)」と称する酒罇に盛られます。
そして酒罇の周囲は、前日に三輪山に咲き匂う百合の花が運ばれ、豊かに飾られます。
優雅な楽の音につれて神前にお供えされます。
古式に則り手が加えらた神饌(しんせん)が、折櫃(おりびつ)に納められ、柏の葉で編まれた蓋がされ、黒木の御棚と言いわれる台にのせられて宮司自らによってお供えされます。
舞楽奉納も行われ、時を経た祈りの時が流れます。

     

三枝祭の歴史

  • 三枝祭は、701年(文武天皇大宝元年)制定の「大宝律令」で国家の祭祀の一つとして規定
  • 大神神社で行われる鎮花祭と共に疫病を鎮めることを祈る由緒あるお祭り
  • 御祭神の「御祭神姫蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)」がお住みになっていた、三輪山の麓、狭井川のほとり附近には、笹ゆりの花が美しく咲き誇っていたと伝えらることから、後に酒罇(さかだる)に笹ゆりの花を飾ってお祀りする様になったと言い伝えられています
  • 平安時代には宮中からの使いが御供えの幣物や神馬を献上されるなど、非常に丁重な祭祀として行われていたといいます
  • しかしながら、後世、いつの頃か絶えてしまいました
  • 1881年(明治14年)に再び古式の祭儀に復興され、現在も毎年6月17日に斎行されています

      

スポンサーリンク

PR

UV パーカー 冷感 -7℃
↓↓ 楽天で見る ↓↓

     

三枝祭を動画で垣間見る

古代より続く祭礼を見ると、何か観梅深いものがあります。
それは、古くから続く歴史的価値ということだけではなく、古代の人々が祈る気持ちが、時を経て、今この時にある祈る気持ちと同期して重なっているような感覚 になることではないかと思います。

飛鳥時代の人々が目にしたかもしれない
祭祀を今に・・

     

少し長いですが、ご覧いただくと何か感じていただけるのではないかと感じます。
見たいところだけ、飛ばして見ていただくのもいいと思います。


是非、奈良の地で実際の場に身を置かれる機会を持たれてはいかがかと思います。

         

宵宮祭の様子

動画の大半が、こちらになります。

参拝者は、少な目で、舞楽もまじかで見ることができました。
本殿での祭礼の後に、摂社 率川阿波神社(いさがわあわじんじゃ)と本社大神神社を拝む遥拝所に参拝します。
ご神酒をいただくこともできました。

      

三枝祭の様子

動画の後半部分です。

祭礼の関係者も一般参列者も多く、境内が埋めつくされる感じです。
後方からの撮影でしたが、様子を感じていただけると思います。

スポンサーリンク

     

率川神社へのアクセス

アクセス

所在地:
奈良市本子守町18番地

最寄駅:
JR奈良駅、近鉄奈良駅

  • 近鉄奈良駅(地下4番出口)から徒歩7分
  • JR奈良駅から徒歩7分

      

近隣の見どころ

率川神社は、奈良公園の近くに鎮座しているので、興福寺、東大寺、春日大社の三社寺は、もちろん、奈良町(ならまちも)もすぐ近くです。
また、率川神社と並ぶように、戦国武将 筒井順慶の菩提寺である「伝香寺(奈良三名椿の一つの散り椿があります)」があります。
この他、JR奈良駅と奈良公園を結ぶ三条通り沿いには、「浄教寺(ソテツのある寺)」、「第9代 開化天皇御陵(欠史8代といわれる天皇の一人ですが、春日率川宮を営んだといわれます)」など、穴場スポットもあります。

穴場スポットや見逃しやすいスポットも

奈良三名椿(ならさんめいちん)|画像たっぷり 奈良
奈良には、奈良三名椿(ならさんめいちん)」とか、「大和三名椿」と呼ばれる椿があります。東大寺 修二会ともかかわる「のりこぼし椿」のほか、「五色椿」「散り椿」の三つですが、それぞれに、画像たっぷりに紹介しています。古来より日本で信仰があった椿ですが、その中でも特徴的で由緒ある椿です。
猿沢池 ~ 采女の伝説・七不思議なども伝わる奈良の名所 ~|画像たっぷり 奈良
猿沢池(さるさわいけ)は、奈良を代表する風景の一つで、奈良公園の観光では是非訪れたいスポットです。鹿も見ることができ、興福寺の五重塔や中金堂、南円堂などを眺めながらひと時を過ごせる場所です。ほとりには、采女神社が鎮座しています。近年は、スターバックスもできています。
元興寺 ならまち(奈良町)の世界遺産|画像たっぷり 奈良
元興寺は、奈良町にある世界遺産のお寺です。奈良町にあるというよりも、日本最古の本格伽藍の飛鳥寺が平城遷都に伴って移設されたお寺で、かつては奈良町(ならまち)一帯が元興寺でした。飛鳥寺創建時に使われていた瓦が今もそのまま残っています。
氷室神社 ~ 氷の聖地と枝垂桜(一番桜)で知られる ~|画像たっぷり 奈良
氷室神社は、奈良時代、平城遷都にともない春日奥山に造られた氷室を守護するために、氷の神を祀ったのが始まりとされる神社です。現在も氷の聖地として厚い信仰があります。毎月1日には「献氷灯」が境内を美しく飾ります。また、奈良の一番桜といわれる枝垂桜でも知られます。
興福寺 ~ 五重塔・阿修羅像他、見どころを穴場まで紹介~|画像たっぷり奈良
このページでは、興福寺の歴史や見どころを画像付きで紹介< 見逃しやすいポイントもばっちり!>。 興福寺は、近鉄奈良駅からすぐの所に位置し、宝物殿には有名な阿修羅像があります。猿沢池から望む五重の塔は、奈良を代表する景観です。
春日大社 石灯籠 ~ 見つけると億万長者になれる!?という話もある石灯籠も!~|画像たっぷり 奈良
春日大社参拝の際に参道に立ち並ぶ石灯籠。この中には、「春日七灯籠」と呼ばれる灯籠や見つけると金運が高まるともいわれる灯籠があったりします。ここでは、そんな春日大社の石灯籠に焦点を当てて紹介しています。春日大社参拝のお役に立てれば幸いです。
春日大社 禰宜道(ねぎみち)と奥の院道を歩く ~ 文豪も愛した「ささやきの小径」 ~|画像たっぷり奈良
かつて、春日大社の神職らが、春日大社に通うために使われてた道が禰宜道(ねぎみち)です。 禰宜道は上(かみ)、中(なか)、下(しも)の3本あり、手軽に春日山の自然を味わいながら歩ける道で、中でも「志賀直哉旧居」前に通じる「下の禰宜道」は「ささやきの小径」とも呼ばれ、文豪も愛した道です。

     

     

     

奈良公園周辺の宿泊

奈良公園周辺のホテル・宿をお探しなら こちら

     

     


スポンサーリンク

ミリタリーウェア
↓↓ 楽天で見る ↓↓
[ PR ]

     

タイトルとURLをコピーしました