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飛鳥寺(飛鳥大仏)~ 見どころ・日本最古の本格的寺院 ~|画像たっぷり 奈良

奈良県中部

飛鳥寺は、蘇我馬子が発願、聖徳太子と共に日本初の本格的寺院として完成したお寺です。飛鳥の大仏さんとしても知られます。ここでは、飛鳥寺の歴史を含めたっぷりと紹介しています。
また、お寺の周辺は、飛鳥時代を感じるかのような史跡や風景が広がり、歴史に思いを馳せながらの散策が楽しいところです。

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飛鳥寺について

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飛鳥寺は、596年(推古4年)に、仏教を保護した蘇我馬子の発願により、聖徳太子と共に日本最古の本格的寺院として完成したお寺で、「法興寺」と呼ばれていました。後に「元興寺」となります。

「飛鳥大佛」と呼ばれるご本尊は、飛鳥時代の作の「釈迦如来坐像(重要文化財)」で、日本最古の仏像といわれています。

飛鳥京の中心地に位置し、聖徳太子や中大兄皇子(天智天皇)、中臣鎌子(藤原鎌足)などにも縁があるお寺です。

平城遷都の際に奈良の地(現在の奈良市)に「元興寺」の名で移転建立されたため、以後は、「本元興寺」と呼ばれ、現在は、「安居院」となっていますが、地名から「飛鳥寺」と呼ばれています。
「飛鳥大仏」でも知られ、と呼ばれることもあります。

飛鳥寺のすごいポイントの一つを紹介しておきますと

飛鳥大佛は、聖徳太子の時代から、ずっと同じ位置に鎮座されているということです。

つまり、時代を遡ると、聖徳太子がこの飛鳥大佛の前にいらしたということです。
他にも、すごいポイントがありますので、後ほど紹介します。

     

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飛鳥寺の歴史

大化改新や天皇病気平癒など飛鳥時代を通じて、飛鳥における中心的な役割を果たすお寺でした。

「日本書記」によれば、

  • 588年(崇峻天皇元年)に蘇我馬子が、「法興寺」建立を計画
  • 592年(崇峻天皇5年)仏堂(金堂)と歩廊(回廊)が完成
  • 593年(推古天皇元年)には、塔を起工し、596年(推古天皇4年)一通りの堂宇が完成
  • 605年(推古天皇13年)には、丈六仏像を造り、606年(推古天皇14年)に安置

とあるようです。

    

日本最古の本格的な寺院で、造営にあたっては多くの博士(はかせ)・工人(たくみ)が、朝鮮半島から渡来してあたったことが記されているようです。
仏法最初の寺であり、シルクロードの終着点であり、日本の起点になっていたともいわれるお寺です。

平城遷都時に平城京(現在の元興寺)に移りますが、その後も平安期までは境内を維持していたようです。
887年(仁和3年)と1196年(建久7年)に焼失し、室町以降は荒廃してしまいますが、1632年(寛永9年)と1862年(文政9年)に再建され、現在に至っています。(境内は1/20程度に縮小)

安置されていた大仏については、本元興寺と名を変えた飛鳥寺に残り、1828年にかつての金堂跡に年に建てられた安居院(現本堂)に安置され、「飛鳥大佛」と呼ばれています。

奈良市 元興寺 で見られる飛鳥時代の瓦

また、平城京遷都に合わせ、奈良(現在の奈良市)に移転した元興寺には、飛鳥寺で使われていた建築材も運ばれ再利用され、その当時の瓦が、現在の元興寺の屋根に使われています。

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かつての伽藍

飛鳥寺は、大官大寺、川原寺とともに、「飛鳥三大寺」と呼ばれる存在でした。
(薬師寺創建後は、飛鳥四大寺と呼ばれます。)

1956年(昭和31年)からの継続的な発掘調査により、寺域は南北290m、東西200~250mの規模を持ち、飛鳥では、最大規模の寺院であったことが確認されています。

飛鳥京の中心地に位置しています。

伽藍は、塔を中心に、北側に中金堂、東西に東金堂、西金堂の三つ金堂が建っていたことが確認されています。

中金堂の北側には、講堂が置かれ、周囲には、食堂や僧坊が建ち並んでいたことでしょう。


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「飛鳥寺」の画像ギャラリー

 画像を「クリック」すると大きく見られます。
 スマホでは、タップで拡大後、「スワイプ操作」で次の写真が見られます。

撮影:2021年 1月他

Photos by Catharsis  無断転載禁止 ©Catharsis 2021-2024


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見どころ

飛鳥寺の現在は、周囲には非常にのどかな、雰囲気を持った風景のなかに佇む、小さな境内が残るお寺ですが、日本最古の本格的寺院で、かつては飛鳥京の中心にあるお寺でした。
この辺り一帯は、飛鳥京に思いを馳せながら、ゆっくりと散策できる地です。

     

本 堂

飛鳥寺

本堂は、かつての中金堂があった場所に建てられており、飛鳥大佛と呼ばれるご本尊の「銅造釈迦如来坐像」(飛鳥時代作)や太子16歳の時の姿といわれる「聖徳太子孝養像」(室町時代作)などが鎮座しています。

     

飛鳥大佛(銅造釈迦如来坐像)

ご本尊の「銅造釈迦如来坐像」は創建時の飛鳥時代作の鋳造大仏で、年代のわかる現存の仏像では日本最古のものと言われています。
推古天皇の時代(609年)に、金堂に安置されたもので、重要文化財に指定されています。
補修されたものですが、顔の一部、左耳、右手の中央の指3本は、当時のもののようです。
「飛鳥大佛」の名で親しまれています。

本堂の位置が、創建当時の中金堂のあった場所ですから、大仏さまは創建当時と同じところに座っておられるということになります。

つまり、聖徳太子が立たれて、国のために「十七条憲法」を示すことを、誓ったといわれる、まさに、その場所といえます。

そんな、すごい場所なんですね!

そして、

聖徳太子が、立っていた、まさに同じ位置で

飛鳥大佛様を拝むことができる

ということですね。

     

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現在の境内と史跡

五重塔の塔心位置

東西の金堂の礎石跡

南門方向(飛鳥宮方向)

     

西門跡

西門は、飛鳥寺の門の中で、一番大きな門であったようです。
この門を出たところに、「槻木(つきのき)の広場」があったため、といわれています。

「槻木の広場」は、ここで行われた「蹴鞠の会」で、

中大兄皇子と中臣鎌子(藤原鎌足)が出会ったといわれている場所なんです!

     

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蘇我入鹿の首塚

西門跡に隣接して蘇我入鹿の首塚と呼ばれる五輪塔があります。大化改新の時に、切られた蘇我入鹿の首を埋めた塚とされています。

その奥に見える丘が「甘樫丘(あまかしのおか)」です。
かつて蘇我蝦夷・蘇我入鹿親子が権勢を天下に示すために、丘の麓に居宅を築いたといわれています。

飛鳥寺は、入鹿を謀殺した中大兄皇子と中臣鎌足等が、甘樫丘の蘇我本宗家の逆襲に備え、陣を張った場所でもあります。

はるか昔、この場所に、中大兄皇子や中臣鎌足が立っていた、

と思うと、感慨深いものを感じずにはいられません。
飛鳥寺は、そんな場所なのです。

     

拝観お勧めの時期

飛鳥寺というよりは、飛鳥地域をめぐるには、四季を問わず、飛鳥時代に思いを馳せるときが過ごせる場所で、のんびりした空気(人が少なめのため、そのように感じるのかもしれません)の中でリフレッシュできるエリアだと思います。

早春の菜の花が咲く時期もきれいでした。


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飛鳥寺へのアクセス

アクセス

所在地:
 高市郡明日香村飛鳥682

最寄駅:
 近鉄橿原線/南大阪線 橿原神宮前駅

橿原神宮前駅(東口)から

 明日香周遊バス
  「飛鳥大仏前」下車
   徒歩1分

 レンタサイクル
  約15分


基本情報

拝観時間:
   9:00~17:30
  (10月~3月は17:00まで)
  ※受付は各15分前まで

拝観料 :
   大人・大学生 350円
(境内への入場は無料)

駐車場: 500円
※ 車の場合は、
近隣の「万葉文化館駐車場(無料)」に止めて散策するのもお勧め。

※ 変更になっている場合もありますので、詳細は、飛鳥寺ホームページをご確認ください。
拝観料等が、記載されたページは、見つけることができませんでした。
(飛鳥寺の公式サイトはこちら↓↓)

     

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飛鳥をより楽しむ

時代背景(飛鳥時代)

飛鳥時代(593~710年)は、古墳時代から脱皮し大和国家が貴族の連合政権から、天皇制律令国家として形成された時代であり、飛鳥はそのはじまりの場所です。

推古天皇(第33代天皇)が即位した593年頃からはじまり、元明天皇(第43代天皇)によって藤原京(奈良県橿原市)から平城京(奈良県奈良市)に遷都される710年までが飛鳥時代となります。
飛鳥時代には、694年に持統天皇(第41代天皇)によって飛鳥京(奈良県高市郡)から本格的な都城をなす藤原京(奈良県橿原市)に遷都され、701年(大宝元年)には、『大宝律令』が制定されました。

     

近隣の見どころ

冒頭で飛鳥時代の飛鳥京中心地の大まかなマップを置きましたが、飛鳥寺は、飛鳥京のほぼ中心地にあり、付近には、「飛鳥宮跡」「川原寺跡」「岡寺」「橘寺」「甘樫丘」「酒船石遺跡」「石舞台」「亀石(ほかいろいろな石)」などなど、見どころは豊富です。
飛鳥の空気を感じながら自転車で巡ると思い出深い旅になるのではないかと思います。
(これらの見どころについても順次、追記していきたいと思います。)

飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡)と飛鳥京 ~ 大化の改新のはじまりの地 ~|画像たっぷり 奈良
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最後まで、ご覧いただきありがとうございました。

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