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山の辺の道 <山辺の道>~ 古代に思いを馳せ歩くのどかな道 ~|画像たっぷり 奈良

天理

JR巻向駅―JR三輪駅 間

JR巻向駅から山の辺の道に向かいます。その途中には、「垂仁天皇纏向珠城宮跡(まきむくたまきのみやあと)」や「珠城山(たまきやま)古墳群」があります。
30分程度歩くと、前回歩いてきた山の辺の道にぶつかります。
そこから、大神神社に向かって歩いていきます。


今回の散策は秋、10月中旬頃には、蜜柑の収穫が始まっており、この辺りの山の辺の道沿いには、ところどころ無人販売所が置かれており、旬の味わいを楽しむことができます。

     

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山の辺の道(巻向ー三輪) 画像ギャラリー

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撮影:2022年(令和4年) 10月

Photos by Catharsis  無断転載禁止 ©Catharsis 2021-2024


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この区間の見どころ

纏向駅は、前の区間の終点ですので、「相撲神社」「大兵主神社」については、前ページをご覧ください。
前回の帰路でも通ったところですが、ほとんど紹介をしていなかった垂仁天皇纏向珠城宮跡・珠城山古墳群も紹介したいと思います。


垂仁天皇纏向珠城宮跡・珠城山古墳群

纏向珠城宮(まきむくたまきのみや)は、垂仁天皇(すいにんてんのう)の営んだ宮とされています。

垂仁天皇は、第11代 天皇で、日本書記では、崇神天皇29年(紀元前69年) に生まれ、 垂仁天応99年(西暦70年)の崩御と記されるようです。

一方、考古学上は、実在したとすれば、3世紀後半から4世紀前半頃の大王とも推定されるようですが、定かではありません。

隣接するように、珠城山古墳群(たまきやまこふんぐん)があります。


   

   

相撲神社は、垂仁天皇の御前で初めて取られた相撲が行われたと伝えられるところです。

相撲神社

大兵主神社


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大和の青垣

「大和は国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる大和し 美(うる)わし」と古事記に歌われています。
これは、「大和は国の中でも最もよいところだ。重なり合った青い垣根の山、その中にこもっている大和は美しい。」という意味で、景行天皇を父に持つ倭健命(やまとたけるのみこと)が、詠んだ歌といわれます。
倭健命は、西へ東へと大和朝廷に服従しない勢力を制圧していきますが、ついには破れ、亡くなる前に帰れないふるさとへの思いをこめて詠んだものといわれています。

舗装路をしばらく歩くと、折り返すような道があり、そこから少し進んだところに説明板があります。

この辺りから望む大和盆地は遠くに見える生駒山地や矢田丘陵、すぐ手前には景行天皇陵、右手には巻向、三輪の山々など幾重にも緑の垣根に囲まれるような風景で、現在も大和青垣国定公園に指定され守られています。


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檜原神社(ひばらじんじゃ)

檜原神社は、大神神社の摂社です。大神神社と同じく、明神型の鳥居三つを一体に組み合わせた「三ツ鳥居」が置かれる神社です。

そして、境内からは、二上山を正面に眺望でき、奈良県景観資産に指定されています。
特に春分・秋分の日頃には三輪山から昇った朝日が夕方には二上山の雄岳と雌岳の間に沈み、大和を代表する夕景色といわれます。

ご祭神は、
 天照大神若御魂神
 (あまてらすおおみかみのわかみたまのかみ)
 伊弉諾命(いざなぎのみこと)
 伊弉冊命(いざなみのみこと)
です。


檜原神社から大神神社方向に続く道は、少し細めの山道(割と平坦ですが)となります。
少し歩いたところに、山の辺の道の石標があります、
そして、次のポイントとなる玄賓庵付近は、風情のある石畳の道となります。

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玄賓庵(げんぴあん)

玄賓庵は、平安時代の高僧の玄賓僧都(げんぴんそうず)<818年(弘仁9年)没>が、隠棲(いんせい)していた庵です。
重要文化財の木造不動明王像が伝わってます。
能のにある「三輪」という演目は、玄賓と三輪明神の物語を題材にしたものといわれています。

玄賓庵は、元々は三輪山の檜原谷にあり、明治初年の廃仏毀釈で現在の地に遷されたといいます。

     


狭井神社(さいじんじゃ)

狭井神社(正式には「狭井坐大神荒魂神社(さいにますおおみわあらみたまじんじゃ)」)は、大神神社の摂社で、第11代 垂仁天皇のご御世(日本書紀に記される内容からは約2千年前)に創祀されたといわれる神社です。

ご祭神は、病気平癒の霊験あらたかな神様、大神荒魂大神(おおみわのあらみたまのおおかみ)を主神として、大物主神、媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)、勢夜多々良姫命(せやたたらひめのみこと)、事代主神(ことしろぬしのかみ)が配神として祀られています。

大神神社には、大物主神「和魂(にぎみたま)」をお祀りしているのに対し、狭井神社では、「荒魂(あらみたま)」が祀られています。

御神水

本殿横には、御神水のエリアがあり、自由に飲むことができます。
湧き出る霊泉は太古より「くすり水」として信仰の対象となっています。
販売もされています。

市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)

鳥居を入ったところには、「鏡女池」があり大神神社の末社の「市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)」が鎮座しています。

ご神域 三輪山への登拝はここから

狭井神社の社殿横に神体山である三輪山に登拝できる入山口が設けられています。

※ 令和4年1月21日より、コロナ蔓延防止のため登拝は中止されておりましたが、現在(令和5年)は、入山できるようになっています。

     

     

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狭井神社は、大神神社の境内の一画に鎮座する神社ですので、境内を歩きながら、大神神社の拝殿に向かいます。途中には、磐座神社や活日神社があり、ちょうど拝殿に向かって左手に出ます。
途中にある「くすり道」を下っても拝殿に行くことができます。


大神神社(おおみわじんじゃ)<三輪明神>:拝殿

大神神社は、遠い神代の昔、大己貴神(おおなむちのかみ)<=大国主神(おおくにぬしのかみ)>が、自らの幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)<和魂(にぎみたま)>を三輪山に鎮められ、大物主神の御名で、お祀りされた日本最古の神社です。

大三輪の神は、国造りの神様として、また、医療、酒造、方除等、人間生活全般の守護神として、大和国一ノ宮・三輪明神と親しまれています。

三輪山そのもの御神山として鎮座する形で、本殿は設けられず、本殿とも見える社殿は、実は拝殿です。そして、拝殿の奥に、明神型の鳥居三つを一体に組み合わせた「三ツ鳥居」が置かれ、それを通して神の鎮まる三輪山を拝するという、原初の神祀りの様が伝えられています。

三輪山(高さ467m)は、大和盆地の東南に位置し、山全体が松、杉、桧に覆われ、古来より神の鎮まりますお山(神奈備山:かんなびやま・三諸山:みもろやま)として仰がれています。

拝殿の前には、「巳の神杉」が、そびえます。
ご祭神の大物主大神が、蛇神に姿を変えられたという伝承が「日本書記」などに記され、蛇神の化身として信仰されています。
この神杉の胴から白い巳(蛇を親しみを込めて呼ぶ呼称)が出入りすることから名づけられているようです。
神杉の前には、巳さんの好物である卵や酒が持参され、お供えされています。

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この区間の散策にあたって

こちらは、1日あれば、余裕の持てる距離感です。

  • 大神神社全体を参拝し、JR 三輪駅を終点とするのも良し、あるいは、箸墓古墳を経て、JR 巻向駅に戻るのも良いかと思います。
  • 山の辺の道から、大神神社にアクセスすると、大神神社の表参道は通りませんので、JR 三輪駅、JR 巻向駅に向かう際に参道を下り、大鳥居は見ておきたいところです。

   

  • また、大神神社の参拝の状況にのよりますが、さらに、JR桜井駅方面に進み、次の区間(最終)まで歩いても1日のコースの範囲で収まる距離だと思います。

区間ごとに分けた散策コース

古道 山の辺の道でも人気の南コースといわれる区間をさらに細分化して紹介しています。
散策の際の参考にご覧いただければと思います。
「アクセス」については、JR桜井線(万葉まほろば線)の各駅からがおすすめです。


JR長柄駅/JR柳本駅-JR巻向駅 間 ≪前≪≫次≫ JR三輪駅ー桜井駅 間

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