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山の辺の道 <山辺の道>~ 古代に思いを馳せ歩くのどかな道 ~|画像たっぷり 奈良

天理

JR長柄駅(JR柳本駅)-JR巻向駅 間

長柄駅から「大和神社」を経て、「萱生環濠集落」「西山古墳」の所で「山の辺の道」に入り、前区間で終点となったところから歩きます。
「衾田陵」「念仏寺」「大和神社御旅所」をパスし、柳本駅から、「黒塚古墳」経由で「長岳寺」から山の辺の道に入るという選択肢もありだと思います。

   

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この区間の見どころ

(JR長柄駅から)

長柄駅は、前の区間の終点ですので、重なる見どころは、前ページでご確認ください。
前回の散策で、ご覧になった場所は、パスして進んでください(また見るも良しですが・・)。


大和神社

萱生環濠集落

西山古墳


衾田陵(ふすまだりょう)<西殿塚古墳(にしとのづかこふん)>

継体天皇の皇后で欽明天皇の母にあたる、手白香皇女(たしらかのひめみこ)の陵墓とされ、宮内庁によって管理されています。
全長約234mの大型の前方後円墳で、周辺部の発掘調査結果からは、4世紀前半の築造と推定されています。
萱生環濠集落の集落周辺には、萱生の千塚と呼ばれ一帯には多くの古墳が点在していますが、衾田陵はその中でも最大規模を誇ります。
しかし、手白香皇女は6世紀の人物であることを考えると、被葬者とするには大きな開きがあり、西山古墳が本当の陵ではないかとも考えられています。。


念仏寺

山の辺の道沿いに位置する檀家を持つお寺です。


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大和神社御旅所(大和稚宮神社:おおやまと わかみや じんじゃ)

毎年4月1日は、大和神社から、ここお旅所(大和稚宮神社)まで、「神輿渡御(しんよとぎょ/みこしとぎょ)」が行われます。
「ちゃんちゃん祭」の名で親しまれ、「祭の始めは、ちゃんちゃん祭り、祭の納めは、おん祭り」と大和の里謡に歌われる代表的なお祭りです。


(JR柳本駅から)

黒塚古墳

「黒塚古墳」は、卑弥呼の鏡といわれる「三角縁神獣鏡」が33面出土した古墳です。柳本古墳群の一つで全長約130mの前方後円墳です。隣接する黒塚古墳展示館内には、発掘時の竪穴式石室が復元されており、発掘された鏡や鉄製品のレプリカ等が転移されています。
JR柳本駅から山の辺の道へ向かう道の途中にありますが、JR長柄駅から歩く場合も、見ておきたいポイントです。

また、前の区間で紹介した通り、この付近の山の辺の道のマンホールには、三角縁神獣鏡のモチーフが使われています。
ちなみに、黒塚古墳展示館でそのマンホールカードをもらうことができます。


長岳寺

9世紀に淳和天皇の勅願により、弘法大師が開いたといわれています。一時期は、42の堂宇を数えたようですが、幾度かの兵火にみまわれ、また、神仏分離により規模が縮小しています。
本堂には、戦乱の血痕が残る板(当時は床板と思われる)が、使われています。
釜口山上にあることから「釜口のお大師さん」としても知られています。
美しい境内を持つお寺です。


行燈山古墳(あんどんやまこふん)<崇神天皇陵(すじんてんのうりょう)>

崇神天皇は、第10代天皇で、祭祀、軍事、内政においてヤマト王権国家の基盤を整えた御肇国天皇(最初に国土を統治した天皇)ともいわれます。
実在した可能性のある最初の天皇とする説もあり、実在したとすれば時期は3世紀後半から4世紀前半と推定されますが、定かではありません。

龍王山から延びる尾根の一つの丘陵を利用した全長約242mの前方後円墳で、周囲に濠がめぐらされています。
宮内庁により、「崇神天皇 山邊道勾岡上陵」(やまのべのみちのまがりのおかのうえのみささぎ)として管理されています。
地名から「行燈山古墳(あんどんやまこふん)」とも呼ばれます

遥拝所は、国道169号線に隣接する位置にあります。


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渋谷向山古墳(しぶたにむかいやまこふん)<景行天皇陵(けいこうてんのうりょう)>

景行天皇は、第12代天皇で、『古事記』、『日本書紀』に登場する古代の英雄の日本武尊(ヤマトタケル)の父にあたります。
景行天皇についても、4世紀前期から中期に実在した可能性がある天皇ですが、定かではありません。

渋谷向山古墳も、行燈山古墳(崇神天皇陵)と同じく、龍王山から延びる尾根の先端の丘陵を利用して三段に構築された前方後円墳で、全長は約300mにおよび、周囲約1kmに濠をめぐらされています。
古墳時代前期(4世紀中葉)に構築されたものとしては国内最大の古墳といわれています。
宮内庁により、「景行天皇 山邊道上陵」(けいこうてんのう やまべのみちのへのみささぎ)として、管理されています。
地名から「渋谷向山古墳(しぶたにむこうやまこふん)」とも呼ばれます。

遥拝所は、国道169号線に隣接する位置にあります。


纏向遺跡(まきむくいせき)

纏向遺跡(まきむくいせき)は、初期ヤマト王権発祥の地として、あるいは邪馬台国(3世紀ごろ)の東の候補地として有名な遺跡です。

遺跡の範囲は、かなり広大で、三輪山を背後に、この説明版のあるあたりの山麓から西方向を望む地域一帯に広がっています。

ここから見えるのは、草原や樹々の茂る(古墳を含む)風景ですが、付近には、

  • 垂仁天皇(第11代)の「纏向珠城宮跡(まきむくたましろのみやあと)」(巻向駅方面)
  • 景行天皇(第12代)の「纏向日代宮跡(まきむくひしろのみやあと)」(すぐ近く)

の伝承地もあり、「わが国初の都市」、あるいは「大和政権の都宮」とも考えられています。


相撲神社(すもうじんじゃ)

「相撲神社」は、「大兵主神社(だいひょうずじんじゃ)」参道の鳥居の横にある相撲発祥の地と伝えられる神社です。
旧蹟カタヤケシカ(カタヤとは方屋(かたや)のことで、土俵場のことを意味しているようです)があり、「野見宿禰命(のみのすくねのみこと)」が祀られています。

ちなみに、奈良県出身の「徳勝龍関」が優勝したことを記念する碑も作られています。

日本書紀では、垂仁天皇の時代に、無敵といわれた「当麻蹴速(たいまのけはや)」と相撲を取る相手として「野見宿禰(のみのすくね)」が出雲の国から呼ばれたといいます。
そして、天皇の前で初めて相撲をとったといわれています。
それが、相撲のはじまりで、相撲が行われた場所が、相撲神社と伝えられています。

「野見宿禰命(のみのすくねのみこと)」については、ご存じない方も多いと思いますが、相撲では、野見宿禰が勝ち、以後、垂仁天皇に仕えたといいます。
そして、垂仁天皇の皇后の葬儀にあたり、それまで行われていた殉死の風習を改めようとしたとき、埴輪を作って殉死者の代わりにすることを進言した人物として伝えられています。

そして、その野見宿禰の子孫には、菅原道真公が・・・。

菅原道真公の先祖にあたる方のようで、奈良市の 菅原神社 にも祀られています。


大兵主神社(だいひょうずじんじゃ)

「大兵主神社(だいひょうずじんじゃ)」は、「相撲神社」の前にある鳥居をくぐって、約500m歩くと、社殿にたどり着きます。
「穴師坐兵主神社(あなしにいますひょうずじんじゃ)」とも呼ばれ、崇神天皇60年の創建と伝わり、延喜の制で名神大社に列せられ、最高の社格を持つ大和一の古社といわれています。


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この区間の散策にあたって

こちらも、途中で休みながら、ゆっくりと散策すると、一日でちょうどいいくらいの距離と時間ではないかと思います。(いい感じで疲れる距離です。)

この区間の終点付近(穴師)には、「大和橘(やまとたちばな)」を、原料とした、地ビール「穴師橘(あなしたちばな)ラガービール」(缶ビール)が飲めるお店があります。
(山の辺の道から、相撲神社方向に50mくらい歩いた道沿いにあります。)
散策の打ち上げに立ち寄り、ご賞味してみてはいかがかと思います。

次のコースの出発点とする予定であれば、「相撲神社」「大兵主神社」は、次回に巡るというとことにしてもいいかもしれません。(その時の体力と相談して散策するのがいいと思います。)


区間ごとに分けた散策コース

古道 山の辺の道でも人気の南コースといわれる区間をさらに細分化して紹介しています。
散策の際の参考にご覧いただければと思います。
「アクセス」については、JR桜井線(万葉まほろば線)の各駅からがおすすめです。


天理駅ーJR長柄駅 間 ≪前≪≫次≫ JR巻向駅―JR三輪駅 間

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