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山の辺の道 <山辺の道>~ 古代に思いを馳せ歩くのどかな道 ~|画像たっぷり 奈良

天理

JR三輪駅ー桜井駅 間

JR三輪駅から参道を拝殿に向かって歩きます。(前のコースから続けて歩く際も)拝殿前から巳の神杉の横を抜け、天皇社の横に桜井に向かう山の辺の道があります。
山の辺の道(南コース)の遊歩では、大神神社を起点または、終点とされる方も多いかもしれません。また、トップページでの、石上神宮~大神神社までのコース紹介では、記載していませんが、大神神社からさらに、桜井方向に歩く、仏教伝来之地碑までを紹介したいと思います。

     

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作成中のため、区間情報のみ掲載しています。

     

山の辺の道(大神神社ー仏教伝来之地碑)の画像ギャラリー

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撮影:2022年(令和4年)10月

Photos by Catharsis  無断転載禁止 ©Catharsis 2021-2024


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この区間の見どころ

JR三輪駅は、前の区間の終点ですので、「大神神社」については、前のページをご覧ください。
大神神社から仏教伝来之地碑までの区間は、約1.2km程度の工程ですので、大神神社をぐるっと拝観するのと合わせて歩くか、前の区間に続けて歩くのが良いのではないかと思います。

三輪山 平等寺

三輪山平等寺は、聖徳太子による開基と伝えられ、永遠の平和を祈願する霊場として創建されたいいます。
一方、平等寺以前の大三輪寺遍照院の存在から空海開基説も存在するようです。

鎌倉時代の初期、中興の祖、慶円上人(三輪上人1140~1223)を迎え、本堂、護摩堂、御影堂、一切経堂、開山堂、赤門、鐘楼堂のほか、12坊舎の大伽藍を有する三輪社奥の院でもありました。
三輪別所とも呼ばれ、仏法の奥義をきわめようとする道場として栄えまたといいます。
大御輪寺、浄願寺と共に三輪明神(現・大神神社)の神宮寺でしたが、明治の廃仏毀釈により、堂塔ことごとく整理を迫られ、有名な金屋の石仏をはじめ61体にのぼる仏像が他所に運び出され、ほぼ、消滅かけましたが、その後、現境内地の寄進を受け再興の道が開かれたようです。

境内から、赤門を抜け、山の辺の道を進みます。

     

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崇神天皇磯城瑞籬宮趾(すじんてんのうしきのみずかきのみやあと)

磯城瑞籬宮跡は、第10代 崇神天皇が営んだ宮の跡地と伝えられています。
古代大和政権の発展の拠点であったともいえる場所です。

背後には、神山・三輪山、足元には、「海柘榴市(つばいち)」(市場)があり、大和平野を見渡す高燥の地です。
東へは、初瀬道、伊勢を経て東国へ、南へは、磐余道(いわれみち)、飛鳥を通じて紀伊方面へ、北へは、山の辺の道、奈良、京を経て北陸、日本海方面へ、西へは、大和川の水運を利用して難波、瀬戸内海方面につながる交通の要衝でもある地です。

古代祭祀跡の磐座も見られ、四つの磐座が一直線に並ぶ珍しい形態をなすものです。

     

金屋の石仏

建物の中に二体の石仏が収められています。
元は、平等寺の境内地にあったものが、明治初期の廃仏毀釈により、運び出されたものともいわれます。(金屋は、地名です。)

右が「釈迦如来」、左が「弥勒菩薩」と推定されています。

左の石像
右の石像

高さ2.2m幅約80cmの2枚の粘板岩に浮き彫りにされたこの仏像は、古くは貞観時代(平安時代:859年~877年)もの、新しくても鎌倉時代のものとされ、重要文化財の指定を受けています。

建物の下の右側には赤茶色の石があり、5世紀末頃の石棺の蓋ではないかと考えられているようですが、石材の種類が違うため金屋の石仏との関係は薄いと思われます。

     

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海柘榴市(つばいち)

「海柘榴市」(ここ金屋(地名)の一帯)は、三輪・石上を経て奈良への山の辺の道、初瀬街道・飛鳥地方への磐余道(いわれみち)、大阪河内泉から竹之内街道などの道が集まっており、また、大阪難波からの船の便もあり、大いににぎわう地(市場)でした。

「海柘榴市」は、広いエリアにわたっており、これから目指す、「仏教伝来之地碑」のある河川敷のあたりも「海柘榴市」であったと考えられています。

古代、春や秋の頃には若い男女が集まって互いに歌を詠み交わし遊ぶ「歌垣」で、有名な地です。
平安時代になると、「伊勢詣で」や「長谷寺詣で」が盛んになるにつれて宿場町として栄えたといわれます。
「枕草子」「源氏物語」「かげろう日記」などにも登場する地です。


海柘榴市観音堂

古くから海柘榴市に建てられた観音堂があったようです。
老朽化したため建て替えられたようですが、いにしえの時代の賑わいの中にたたずむ堂の姿が偲ばれます。

観音堂内に安置される観音像です。

山の辺の道としては、トイレと休憩スペースが設けられています。

     

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仏教伝来之地碑

「仏教伝来之地碑」は、泊瀬川にぶつかって、すぐの所にあります。
泊瀬川畔一帯は、崇神天皇(第10代)の磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)、欽明天皇(第29代)の磯城嶋金刺宮(しきしまかなさしのみや)をはじめ最古の交易の市・海柘榴市(つばいち)などの史跡を残し、「しきしまの大和」と呼ばれる古代大和朝廷の中心地であった地です。


この付近は、難波津(古代の大阪湾岸にあった港津)から遡行してきた舟運の終着地で、大和朝廷と交渉を持つ国々の使節が発着する都の外港として重要な役割を果たしてきた地です。

何よりも、552年(欽明天皇の13年)には、この地に釈迦仏の金銅像や経典を献上したとあり、百済から仏教伝来の使節がこの港に上陸し、すぐ南方の磯城嶋金刺宮に向かったとされ、仏教が初めて日本に送られてきた記念すべき地であります。

また、推古天皇16年には、遣隋使小野妹子が、隋の使節団を伴って帰国し飛鳥の京に入るとき、飾り馬75頭を遣わしてここ海柘榴市の路上で盛大に迎えさせたと記されている地でもあります。

     

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この区間の散策にあたって

冒頭にも、書きましたが、短い区間ですので、この区間だけを目的に、ここに来られるのは少しもったいないと思います。JR巻向駅から大神神社参拝、そして、この区間まで歩くのがお勧めです。
仏教伝来之地碑からは、桜井駅にも迎えますが、JR 三輪駅に戻るという手もあります。
JR 三輪駅の方が、やや近いです。今回は、三輪駅に向かい、三輪の地を後にしました。

これで、「石上神社」から「大神神社」そして、「仏教伝来之地碑」までの山の辺の道(南コース)の全体を紹介させていただきました。三輪から奈良に向かうのも良しです。

コース全体、あるいは、興味を感じた区間を歩いてみてはいかがでしょうか。古来の人々の息吹を感じることができる道です。

     

区間ごとに分けた散策コース

古道 山の辺の道でも人気の南コースといわれる区間をさらに細分化して紹介しています。
散策の際の参考にご覧いただければと思います。
「アクセス」については、JR桜井線(万葉まほろば線)の各駅からがおすすめです。

     


JR巻向駅―JR三輪駅 間≪前≪

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