談山神社(たんざんじんじゃ)は、史実と美しさを兼ね備える凄いスポットの一つです。世界唯一の「木造 十三重塔」が印象的ですが、全体が超パワースポットと感じられるところです。
桜、紅葉の季節は、大変な賑わいとなりますが、初夏の緑も爽快で朱色の建造物を美しい風景が観られます。
談山神社の概要

談山神社は、藤原鎌足公が祀られている神社です。
まず、大化の改新という史実は、ご存知のことと思いますが、645年5月(「乙巳の変」の1か月前)にその大化の改新について、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)が談山神社のある多武峰(とうのみね)の山中に登って談合を行ったとされています。
(現在もその談合の場所「談山(かたらいやま)」は、史跡として残っていおます。)
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このことから、大化の改新発祥地とされ、後にこの山を「談山(かたらいやま)」「談所ヶ森(だんじょがもり)」と呼んだことが、談山神社の社号となっています。
鎌足公の没後は、摂津国阿威山(あいやま)<現在の大阪府高槻市>に埋葬されましたが、長男 定慧(じょうえ/じょうけい)和尚が留学中の唐から帰国し、鎌足の遺骨を摂津国からこの地に移して埋葬し、678年(白鳳七年)木造十三重塔と講堂を建て、「妙楽寺」としました。
その後、701年(大宝元年)には、定慧の弟の不比等(ふひと)とともに、神殿を建て父 鎌足公の像をお祀りしました。
これが、談山神社の始まりとなります。
明治の前の談山神社は、妙楽寺と一体でしたが、明治の初めに神仏分離令によって、神社だけを残すことになりました。
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談山神社は、見どころが多い神社
談山神社は、拝観どころが大変多く、見ごたえがあります。
全てを 1記事にするのは、ボリュームが多くなりすぎるので以下のとおり 「本編記事(この記事)」と「ギャラリー 3編」に分けて紹介します。
<本 編>
・談山神社 見どころ紹介(この記事です。)
<ギャラリー編>
1)談山神社 新緑の境内と見どころを画像たっぷりに
2)談山(かたらいやま)・御破裂山(ごはれつざん)へ
3)東大門・屋形橋から談山神社まで
談山神社 ギャラリー編
それぞれ、画像たっぷりのギャラリーをご覧いただけます。
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談山神社 見どころ紹介
談山神社の境内の見どころ
初めての参拝時は、位置関係が分かりにくいことがあります。
西入山入口から入るときのおすすめ拝観順に紹介します。
正面入山入口
ここからは、入れませんので、西入山入口に向かいます。

正面入山入口の鳥居から130段の階段を登った上に「本殿」があります。ただし、紅葉と桜の時期以外は、正面口は閉鎖されおり、階段途中から西入山入口に回り込みます。
祓戸社
西入山入口の外に、開運・厄除割符の「祓戸社(はらえどしゃ)」があります。

小さな橋を渡ったところにあります。
祓戸社には、祓戸大神(はらえどのおおかみ)がお祀りされています。
総社本殿・総社拝殿
西入山入口を入ってすぐの階段の上に、「総社本殿」と右に「総社拝殿」が見えます。

総社本殿

重要文化財
総社本殿は、926年(延長4年)に祀られた。
天神地祇・八百万神をまつる日本最古の総社といわれている。
この総社本殿は、1734年(享保19年)に談山神社本殿が再建された後、1742年(寛保2年)に移築されたもの。
総社拝殿

重要文化財
総社拝殿は、1668年(寛文8年)の造営。
「福禄寿様」がお祀りされています。
談山神社拝殿を縮少し簡略化した様式で、正面、背面ともに唐破風(からはふ)をもつ。
内部、外部の小壁には狩野永納筆の壁画が残り、「山静」の落款も見られる。
※ 唐破風(からはふ):
入口の上にあるアーチ形の小さな屋根
蹴鞠の庭
閼伽井屋を抜け、総社拝殿と神廟拝所の間にある庭が、「蹴鞠の庭(けまりのにわ)」です。

中大兄皇子と中臣鎌子(藤原鎌足)が、出会った飛鳥の法興寺(飛鳥寺)の蹴鞠会(けまりえ)にちなんで、毎年4月29日と11月3日に、ここで「けまり祭」が開催されます。


※ 写真は、拝殿内で展示のものを撮影(撮影可)
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神廟拝所 (旧・講堂)
蹴鞠の庭に面して「神廟拝所(しんぴょうはいしょ) 」(旧・講堂)があります。
ここは、入堂することができます。

重要文化財
神廟拝所(しんぴょうはいしょ)は、定慧和尚(鎌足公の長男)が679年(白鳳8年)鎌足公を供養するために、当時の妙楽寺の講堂として建てられた社殿です。
十三重塔の正面に仏堂をつくる伽藍が特徴です。
現在の堂は、1668年(寛文8年)再建のもの。
内部壁面には羅漢と天女の像が描かれており、鎌足公の像も祀られています。重みときらびやかさがある空間です。(写真撮影可)


権殿
蹴鞠の庭から更に階段を登ると、「権殿(ごんでん)」があります。

重要文化財
970年(天禄元年) 摂政右大臣藤原伊尹の立願によって創建された。
現在の権殿は、室町後期に再建されたもので、平成の大修理を終え再生された。
権殿内では、室町時代に、盛行した芸能「延年舞(えんねんのまい)」や能が演じられたようだ。
文学・芸術にたずさわる人の守り神であり、芸能上達を祈る聖地ともいう。
十三重塔
権殿の右側には、「十三重塔」がそびえます。檜皮葺きの屋根の木造十三重は、他に見ることのできない談山神社を印象付ける塔です。

重要文化財
定慧(じょうけい)和尚(鎌足公の長男)と、不比等(ふひと)(鎌足公の次男)によって、678年(白鳳7年) 鎌足公供養のために創建された。
現在の塔は、1532年(享禄5年)の再建されたもの。
木造十三重塔としては、現存世界唯一の貴重な建造物。高さは約17メートル。
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本殿・楼門・拝殿
十三重塔から、本殿に向かう「楼門」が伺えます。「拝殿、楼門」は一体となっており、「本殿」はその内側に鎮座しています。
楼門

拝殿

重要文化財
拝殿は朱塗舞台造りで、1520年(永正17年)の造営。中央の天井は伽羅香木でつくられている。本殿を囲むように折れ曲る東西透廊を歩くことができる。檜皮葺の屋根も美しいつくり。
本殿

重要文化財
本殿は、701年(大宝元年)の創建で、藤原鎌足公が祀られている。(旧 別格官幣社)
もと聖霊院、多武峯社 ともい言われる。
現在の本殿は1850年(嘉永3年)造替のもので、三間社隅木入春日造、朱塗極彩色の豪華な様式で知られている。
日光東照宮を造営するときにお手本とされたことでも有名。
【本殿の造替】
江戸時代には、50年ごとの造り替えが認められており、5度本殿が造替された。「総社本殿」や「東殿(恋神社)」は、以前の本殿が移設されたもの。他の本殿も、移設され現存している。
・1619年(元和5年)の造替:現在の東殿(恋神社)
・1668年(寛文8年)の造替:現在の総社本殿
・1734年(享保19年)の造替:現在の奈良県広陵町 百済寺本堂
・1796年(寛政8年)の造替:安倍文殊院の護摩堂と使用された後、現在の東大寺 東南院 持仏堂(現 東大寺 本坊内)
・1850年(嘉永3年)の造替:現在の本殿
西宝庫・東宝庫・春日神社
拝殿(本殿)の左右には、「西宝庫」と「東宝庫」があります。楼門の前では、西宝庫が観られます。
※ 東宝庫は、拝殿を挟んで反対側にありますので、後で東殿(恋神社)の拝観と合わせて観られます。
西宝庫

東宝庫

重要文化財
校倉造り(あぜくらづくり)で1619年(元和五年) の造営。
談山神社古来の名宝を収蔵して来たが、現在は、収蔵していない。
春日神社
東宝庫と一緒に、春日神社が鎮座しています。
かなりいたんだ状態の社で、説明板も置かれていませんが、江戸時代のもののようです。

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恋の道・東殿・むすびの岩座・厄割り石
正面入山入口に向って降りる長い階段を少し下ったところに、東殿に向かう「恋の道」があります。こちらを進み、「東殿」に向かいます。
東殿の左右には、「むすびの岩座」「厄割り石」があります。


東殿(恋神社)ー 縁結びの神

重要文化財
摂社・東殿(恋神社)は、鏡女王、定恵和尚、藤原不比等を祀り、若宮とも言われる。
1619年(元和5年)造替の談山神社本殿を1668年(寛文8年)に移築したもの。
恋神社の呼称もあり、えんむすびの神として信仰される。
結びの岩座 ー 祈願成就

東殿の手前には、古来より神の鎮まるといわれる「むすびの岩座(いわくら)」があり、岩を撫でて心に思うことを、祈願(えんむすび等)した上で、おみくじを引いたり、お守りを受ると、より願いが叶うといわれています。
厄割り石 ー 開運・諸願成就

右側には「厄割り石」があり、厄落し、開運・諸願成就にご利益があるといわれています。
本殿横の授与所で「厄割り改新玉」というのを授与(2個300円)して貰い、この「厄割り石」に落として、厄払いをします。
(落とし方は、現場に書かれています。)
龍珠の岩座
東殿の横にある階段の横に、祀られた岩(説明板なし)があります。これが、「龍珠の岩座」と思われます。

パワースポット
龍珠の岩座は、談山神社の古記「多武峰縁起」によると、談山神社の前身の妙楽寺を創建する時に、「東の大樹の辺りより異光を放つ」岩があったそうで、この岩がその光を放つ霊石と伝えられています。福運上昇をお祈りすると良いパワースポットと言われています。
※談山神社の公式の説明からは、省かれているのが少々気になります。
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観音堂・三天稲荷神社
東殿の奥に「観音堂(如意輪観音堂)」があります。観音堂の更に奥に、「三天稲荷神社」がありますが、参道にロープが張られていたため、お参りは控え、行きそびれてしまいました。
如意輪観音堂

如意輪観音堂については、特に説明されたものがありませんでした。
三天稲荷神社
「宇賀魂命」「菅原道真」「市杵島姫命」が祀られており、商売繁昌、学業成就の霊験あらたかな社として知られる。
岩くら・龍神社
観音堂から、引き返し、拝殿の前を通り、十三重塔の方に戻ります。さらに、権殿前を通り、権殿に沿って横に進むと奥に龍ヶ谷の古代「岩くら」と「龍神社」が拝めます。

パワースポット
この瀧と岩くらは、古神道の信仰の姿を今に 残した、霊地。
また、この瀧は、大和川の源流の一つであり、神聖な神の水が、湧き続けています。
岩上の社は、飛鳥時代の水神「たかおかみの神」と大陸から伝わった龍神信仰により、龍神社と呼ばれる。
比叡神社
権殿のすぐ横に「比叡神社」と「4つの神社の末社」が鎮座しています。

重要文化財
比叡神社(末社)は、1627年(寛永4年)の造営。
一間社流造(いっけんしゃながれづくり)、千鳥破風(ちどりはふ)および軒唐破風(のきからはふ)付、桧皮葺の小社ながら豪華な様式で、重要文化財にしていされています。
もとは、飛鳥の大原にあった大原宮が、こちらに移築された。
明治維新までは「山王宮」と呼ばれた。
同じ場所に、「稲荷神社」「山神神社」「杉山神社」「神明神社」の末社が鎮座しています。
※ 一間社流造(いっけんしゃながれづくり):正面から見たときに、柱間が1間(柱が2本)見える造り
※ 千鳥破風(ちどりはふ):屋根の斜面に設けた小さな三角形の小さな屋根(破風)
※ 軒唐破風(のきからはふ):軒先の一部につけられた唐破風(アーチ型の小さな屋根)
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境内周辺の見どころ
談山・御破裂山へ
比叡神社の横から、「談山(かたらいやま)」「御破裂山(ごはれつざん)」に向かう山道があります。


談山までは、徒歩 約10分 と書いてありますが、ひたすら山登りが続きます。
談山から御破裂山までは、緩やかな登りの印象です。

談山(かたらいやま)
談山神社の裏山にあたり古くから「談所の森」と言われ、中大兄皇子と中臣鎌子(藤原鎌足)が、密談をした場所と言われています。
大化の改新のはじまりとなる「乙巳の変(いっしのへん)」(新しい律令国家をつくるために、国の政治を牛耳っていた曽我入鹿を暗殺)についてもここで二人で話し合われていたのかと思うと、それだけでもパワーを感じるスポットです。

御破裂山(ごはれつざん)
山頂には、藤原鎌足の墓所があるといわれています。(写真正面)
古来より天下に異変が生じる時、御破裂山が鳴動し神像に亀裂が入るという伝承があります。
御破裂山には、展望台(エリア)があり、墓所を回り込む方向に「展望台」という案内板もありますが、残念ながら、樹が生い茂っており、展望できる状態ではありませんでした。
御破裂山 展望台エリア

展望台からの風景


説面板に書かれている風景は、一切見えない状態でした。
ここから、大和三山を眺められず、残念でしたが、談山と御破裂山を拝むことができましたので、それだけでありがたいことです。
(御破裂山展望台からの眺望を期待する方は、ご注意ください。)
東大門・屋形橋へ
山を下り、西入山入口を出て、左(東)方向に道沿いに歩きます。
下りの道を歩くと、「東大門」があります。さらに、車道横に設けられた遊歩道を進むと「屋形橋」があります。
いずれも、談山神社に向かう車やバスから確認できるところにあります。
昔は、本居宣長j公や松尾芭蕉などの文人もここを通って、談山神社に向かった場所です。
現在の談山神社の入り口から、ここまでの道すがらの風景も素晴らしものです。

東大門
県指定文化財
東大門は、脇塀の垂木の墨書きから1803年(享和3年)の建立と認められている。
左右に袖を付ける高麗門で、屋根は本瓦葺き。
城郭のような表門が社寺に用いられた、数少ない貴重な遺構の一つ。
東大門に向かう道にも、苔むす石垣があり、これも城郭のような感じを受ける。

屋形橋
談山神社の神域入口に架かる屋根付きの橋で、1791年(寛政3年)の刻銘があり、昭和54年に再建されたもの。
国学者の本居宣長が、1772年(明和9年)3月にこの橋を渡り「うるはしき橋あるを渡り」と菅笠日記に記している橋。また、松尾芭蕉が、三輪から多武峰に来てこの橋を渡ったともいわれている。
Photos by Catharsis 無断転載禁止 ©Catharsis 2021
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知っておきたい参考情報
中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌子(藤原鎌足)

藤原鎌足(中臣鎌子)は、飛鳥の法興寺(現在の飛鳥寺)で行われた蹴鞠会(けまりのかい)で出会ったとされています。蘇我蝦夷・入鹿親子による政治の在り方に疑問を感じ、正しい国の在り方(中央統一国家と文治政治=律令国家)を考えており、中大兄皇子と意気投合したとされています。

645年(皇極天皇 4年)6月、飛鳥板蓋宮において蘇我入鹿(いるか)を暗殺(乙巳の変)、その後、入鹿の父 蝦夷(えみし)を滅ぼすことで、大化の改新を進めて行きました。
その後、669年(天智天皇 8年)10月、鎌足が病が重いことを知った天智天皇は、自ら鎌足の病床を訪れ、後日、藤原姓を与え、藤原氏はここから始まりました。
おすすめ時期・行事
おすすめ時期
「春の桜」「夏の新緑」「秋の紅葉」「冬の雪化粧」と四季折々に談山神社の社殿や塔との素晴らしい景色が楽しめます。
見どころが多いので、私としては、いつの時期もその季節に応じて味わい深く拝観できる神社だと思います。
ただ、人気の時期は、紅葉と桜のシーズンです。
- 桜 : 4月上旬 ~ 5月中旬 周辺 約500本 の桜と合わせて談山神社が拝観できます
- 紅葉:11月中旬~12月上旬 紅葉の時期は、遠方からも多くの人が訪れる名所です。
行 事
朝拝
毎日(夏季8:30~、冬季9:00~)
通常拝観料で参列可
※ 朝拝に参加すると、神拝詞をいただけます。
※朝拝に参加できない日もありますのでご注意ください。
開催中談峯如意輪観音菩薩坐像特別公開
令和3年
2021年6月1日(火)~2021年7月31日(土)
足腰の病に霊験あらたかな秘仏 談峯如意輪観音坐像(だんぽうにょいりんかんのんぼさつざぞう)が特別公開されます。
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談山神社へのアクセス
アクセス
所在地:
桜井市多武峰319
最寄駅:
JR 桜井駅/近鉄 桜井駅
バス(奈良交通):
談山神社行き(桜井市コミュニティバス)
「談山神社」下車
入山口まで 徒歩 約5分
基本情報
拝観時間 :
受付時間:8:30~16:30(最終受付)
最終拝観:17時まで
拝観料:
大人(中学生以上) 600円
駐車場:
有(バス以外は、無料)
※ 入山口に近いのは、第5駐車場
このサイトに記載の情報や価格とは、変更されている場合がありますので、その際はご容赦ください。
詳細は、公式ページをご確認ください。
周辺のスポット
近くには、「聖林寺」(談山妙楽寺(談山神社)の別院として建立)、「安倍文珠院」、このほか車での移動であれば「飛鳥周辺(大化の改新のはじめとなる 乙巳の変 の舞台となった地)」を巡るのもお勧めです。
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最後までご覧いただき、ありがとうございました。他の記事も是非ご覧ください。