かつて、本居宣長や松尾芭蕉もこの多武峰(とうのみね)街道を歩き、談山神社を参拝されたのでしょう。
現在、談山神社へのアクセスは、バスで行くか、入山口に近い駐車場まで車で行くのがほとんどだと思いますが、本居宣長の「菅笠日記」にも記されるこの地もあわせて散策したいものです。
(一部車中からは見えるのですが、行きそびれてしまいがちです。)
「不動延命の滝」から「談山神社東大門」への道
江戸時代の国学者の本居宣長(1730年ー1801年)が、吉野、飛鳥を旅した時の日記(「菅笠日記(すがかさにっき)」に、「うるはしき橋あるを渡り。すこしゆきて。惣門にいる。」と記されています。
この他、松尾芭蕉も歩いたようです。(松尾芭蕉も多武峰(とうのみね)の歌を詠んだようですが、どの歌なのかは分かりませんでした。)
まず、そんなゆかりのある地の風景をご覧ください。
解説は、ギャラリーの下に書いています。
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東大門・屋形橋・不動延命の滝 ギャラリー
撮影:令和 3年 5月
Photos by Catharsis 無断転載禁止 ©Catharsis 2021-2023
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画像の解説
「菅笠日記」における談山神社周辺に関する記述とあわせて紹介します。
「菅笠日記(すがかさにっき)」は、本居宣長が43歳の時、1772年(明和9年)3月5日から14日までの10日間に 吉野、飛鳥を旅した時の日記で、3月7日(3日目)に談山神社についての記述もされています。長谷寺を拝観した後に、談山神社を目指し、吉野町まで歩いているようです。(かなりのハードスケジュール)
不動延命の滝・破不動尊
やうやうにのぼりもてゆくまゝに。いと木ぶかき谷陰になりて。ひだり右より。谷川のおちあふ所にいたる。瀧津瀬のけしき。いとおもしろし。
菅笠日記 原文
(訳)
しばらく急な道(斜面)を登っていくと、木が生い茂った谷の陰になり、左右から谷川が一つのところに流れ落ちる場所(=不動延命の滝)がある。滝や川がせせらぐ景色は、すごく風流だ。

不動延命の滝(ふどうえんめいのたき)
大和川の支流である寺川の二つの沢が出会うところにある落差5~6mの滝です。

破不動尊(われふどうそん)
不動明王像が彫られ祀られています。傍らの杉の木もかなりの巨木です。
彫られた像の右に回ると、大岩は、柳生の一刀石のように中央から切ったように両断されています。


これは、1608年(慶長13年)4月、談山が鳴動したときに破裂したものと伝えられています。
談山神社から、ここに向かうときは、屋形橋からヤマザキショップ側にわたり、道沿いに下り、右に分かれる多武峰街道を進むと、「不動延命の滝(瀧)」と「破不動磨崖仏」があります。その道すがらが次に書かれています。
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東大門・屋形橋
そこの橋をわたれば。すなはち茶屋あり。こゝははや多武の峯の口也とぞいふ。さて二三町がほど。家たちつゞきて。
菅笠日記 原文
又うるはしき橋あるを渡り。すこしゆきて。惣門にいる。
(訳)
そこの橋(不動橋でしょうか?)を渡るとすぐに茶店がある。ここは、もう多武峰の入り口だという。それから2,3区画ぐらい村家が続いて、もう一度、美しい橋(=屋形橋)を渡り、少し行くと惣門(=東大門)がある。
不動延命の滝から屋形橋までの多武峰街道の様子がつづられていますね。
屋形橋から東大門までは、車道横に遊歩道が設けられています。

屋形橋
談山神社の神域入口に架かる屋根付きの橋で、1791年(寛政3年)の刻銘が確認されています。
現在の屋形橋 は、昭和54年に再建されたもので、その後、道路拡幅工事によって場所も少し移動されています。
本居宣長が、この橋を渡ったのは、1772年(明和9年)3月であり刻銘のある橋以前のものということになります。
また、松尾芭蕉が、三輪から多武峰に来てこの橋を渡ったともいわれています。

東大門|県指定文化財
菅笠日記ではさらっと、「惣門(=東大門)にいる」と書かれています。東大門は、脇塀の垂木の墨書きから1803年(享和3年)の建立と認められているため、本居宣長が来た当時は、異なる門であったのかもしれません。
しかしながら、左右に袖を付ける高麗門で、屋根は本瓦葺き、城郭のような表門が社寺に用いられた、数少ない貴重な遺構の一つであり、県指定文化財に指定されている。
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談山神社境内
左右に僧坊共こゝらなみたてり。御廟の御前は。やゝうちはれて。山のはらに。南むきにたち給へる。いといかめしく。きらきらしくつくりみがゝれたる有様。めもかゞやくばかり也。十三重の塔。又惣社など申すも。西の方に立給へり。すべて此所。みあらかのあたりはさらにもいはず。
菅笠日記 原文
(訳)
左右には僧坊が沢山並んでいる。本殿の前は、少し広々とした山の中腹に南向きに立っている。大変厳かで、きらびやかで豪華な様相だ。目が輝いてしまう。十三重塔がある。また、総社(本殿・拝殿)という社が、西側に立っている。すべてが、素晴らしい所だ。もちろん本殿の辺りは、改めて言うまでもない美しさである。
東大門を過ぎると談山神社のかつての境内となり、当時は、僧坊が立ち並んでいたのでしょう。現在は、それが偲ばれる石垣が続きます。清流と苔むす石垣に挟まれる道を登ると現在の入山口に至ります。途中には、重要文化財に指定される石塔も2つ見られます。

かつては僧坊が並ぶ参道
現在は、巨木も多く立ち並ぶ中、苔むす石垣と、傍らを流れる清流が相まってスピリチュアルな雰囲気の中散策できます。
一歩通行ですが、車が通るいことができますが、車は乗りいれて欲しくない場所です。迂回をしましょう。

摩尼輪塔(まにりんとう)|重要文化財
「摩尼(まに)」とは、宝珠のこと。
1303年(乾元2年)の銘がある。
八角大石柱笠塔婆の塔身に薬研彫で、「妙覚究竟摩尼輪(みょうかくきゅうきょうまにりん)」と彫られ、上円部に梵字「アーク」が刻まれている。
※ 宝珠:災難を除き、濁水を清くする、思い通りになる珠のこと
※ 薬研彫:薬研の形状、すなわち断面がV字形になるように彫こと

石灯籠|重要文化財
(後醍醐天皇御寄進)
竿に、南北朝動乱の始まった年、1331年(元徳3年)の刻銘がある。
雄大で装飾性に富む造りであり、天皇の御寄進と伝えられている。
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付録
僧坊のかたはら。道のくまぐままで。さる山中に。おち葉のひとつだになく。いといときらゝかに。はききよめたる事。又たぐひあらじと見ゆ。
菅笠日記 原文
(訳)
僧坊の横の道は、すみずみまで、このような山中なのに、落ち葉一つすらなく、大変きれいに掃き清められている。これも類をみないものだと感心する。
境内の手入れや掃除が行き届いているさまに驚きすら感じていますね。
時代とともに再建もされ、現在も美しい景観が保たれ、いにしえさながらの景観を観ることができるのは、嬉しいことです。
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合わせて見たい 談山神社のギャラリー
また、談山神社の新緑の季節の境内(本居宣長も讃えた境内)、山道を登る「談山、御破裂山」への散策も素晴らしいものです。
こちらも、画像で紹介していますので、合わせて是非ご覧ください。
こちらには、新緑と紅葉の談山神社を画像たっぷりに紹介しています。
談山神社へのアクセス
アクセス
所在地:
桜井市多武峰319
最寄駅:
JR 桜井駅/近鉄 桜井駅
バス(奈良交通):
談山神社行き(桜井市コミュニティバス)
「談山神社」下車
入山口まで 徒歩 約5分
基本情報
拝観時間 :
受付時間:8:30~16:30(最終受付)
最終拝観:17時まで
拝観料:
大人(中学生以上) 600円
駐車場:
有(バス以外は、無料)
※ 入山口に近いのは、第5駐車場
このサイトに記載の情報や価格とは、変更されている場合がありますので、その際はご容赦ください。
詳細は、公式ページをご確認ください。
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