首切地蔵 |旧柳生街道(滝坂の道)に立つ、伝説のあるお地蔵様

奈良公園
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首切地蔵とは

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首切地蔵は、江戸時代の剣豪で、仇討でも有名な荒木又右衛門が、ためし切りをしたという伝説があるお地蔵さまです。 ちょうど首のところで割れた姿で立っています。
彫刻の手法から鎌倉時代の作であると推定されています。

奈良の市街地から旧柳生街道(滝坂の道)を登っていくと、少し開けた場所に休憩所(その名も首切地蔵休憩所)があります。
ここに、首切地蔵があります。

さて、話は変わりますが、ためし切りをしたという伝説を持つ荒木又右衛門をご存知でしょうか?・・ということで、少し解説したいと思います。

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荒木又右衛門(あらきまたえもん)とは、どんな人?

服部(はっとり)郷荒木村(現在の三重県伊賀市)生まれで江戸初期に名をはせたの剣豪です(1598―1638)。

幼少より養父に中条流、叔父に神道流を教えられ、大和郡山藩の剣術師範も務めております。

1634年(寛永11)11月7日、義弟の渡辺数馬(かずま)(岡山藩士)を助太刀し、数馬の仇敵(きゅうてき)河合又五郎(数馬の弟の仇)らを伊賀上野の鍵屋の辻(かぎやのつじ)で討ったことで有名です。
これが、「伊賀越(いがごえ)の仇討(あだうち)」(「鍵谷の辻の決闘」とも呼ばれる)ですが、この時に36人切りをしたと喧伝された人物です。
しかしながら、実際に又右衛門が切ったのは2人というのが史実のようです。

   

仇討の助太刀後、約4年の間、藤堂(とうどう)家で手厚い保護を受けていましたが、仇討の際の兵法未熟を恥じ、数馬とともに同家の新陰(しんかげ)流戸波(となみ)又兵衛に入門しているようです。
また、柳生(やぎゅう)十兵衛に剣を学んだといわれていますが、これは定かではありません。

ただ、「荒木の前に荒木なく、荒木の後に荒木なし」と謳われるほど傑出した剣士であったようです。
講談の上でのことではありますが、 宮本武蔵が生涯で勝てなかったのはこの荒木又右衛門との試合だけと語らるほどの剣豪であったのでしょう。恐るべし、又右衛門。
ちなみに講談では、両者が立ち会ったのは、又右衛門 30歳台半ば、武蔵 50歳前後の頃(又右衛門と武蔵は14歳の差)、将軍家光の御前で行ったという「寛永御前試合」ですが、講談の話であり、史実にはないようです。

     

その後、1638年(寛永15)8月、旧主にあたる鳥取藩池田家に引き取られることとなり、鳥取に到着直しましたが、到着直後に40歳にして急病でこの世を去ったようです。

いずれにせよ、首切地蔵についても柳生新陰流にもゆかりのあった又右衛門が生んだ伝説の一つなのでしょう。

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首切地蔵へのアクセス

アクセス

最寄駅:
近鉄 奈良駅、JR 奈良駅

各駅 から
 バス(奈良交通)
 市内循環 外回り
 「破石町(わりいしちょう)」下車
 滝坂の道、または、春日山遊歩道を歩き
 徒歩 約 1時間程度(約3km)


近隣の宿泊施設

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首切地蔵の周辺にある石仏

首切地蔵のある辺りは、地獄谷と呼ばれていたようで、石が掘り出されていたようです。
滝坂の道にある、石窟仏のほか、春日山石窟仏、地獄谷石窟仏などが、見られます。


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