奈良公園中心部に鎮座する「氷室神社」とも関係が深いといわれている「月日磐」。この「月日磐」は、春日山遊歩道に隣接する川沿いにあり、「氷の神様が祀られた」という伝説のある謎の岩です。
ここでは、この「月日磐」ついて、詳しく、画像たっぷりに紹介します。
月日磐(つきひいわ)の概要
読みは、「つきひいわ」または「ついきひのいわ」です。
「月日磐(つきひいわ)」は、奈良公園の 春日山遊歩道(北コース) に入ってから、間もなくの「月日亭休憩舎」の付近にあるミステリアスな岩(石)です。
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ここには、奈良公園内を流れる吉城川(水谷川)の上流部が流れており、春日山遊歩道からも月日磐を確認することができますが、川の傍まで下りることができ、川を挟んで近くで見ることもできます。
大きさは、幅 約1メートル、高さ約 80センチ程度で、苔むす石(岩)には、月と日(太陽)の図柄が彫られています。
向かって左側に、日(太陽)が、右側に三日月の月が、日(太陽)と重なるように後ろに描かれています。
『大和名所図会』(1791年(寛政3)序:秋里籬島著)には「磐面に日月星の三光の形を彫む」と記されているようです。が、実物では星は、確認できませんでした。
苔の下にあるのかもしれません。
また、この模様が彫られた時期などは、明らかになっていない謎の石でもあります。
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月日磐の画像ギャラリー
まずは、月日磐とその周辺の画像をご覧ください。
撮影:2022年(令和4年)6月
Photos by Catharsis 無断転載禁止 ©Catharsis 2021-2024
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「月日磐」についてもっと知る
どこにあるの?近くみるには・・・
冒頭でも記載しましたが、奈良公園にある春日山遊歩道(北コース)登り口から、少し歩くと、「月日亭休憩舎」という休憩所があります。
そのすぐ近くの道沿いに、「月日磐」の存在を知らせる「石の道標」もあります。
ここには、「右 月日磐 左 鶯の滝」と書かれていますが、月日磐への道は、どれが道なのかわかりにくいです。
(また、参考までに、鶯の滝 までは、結構な距離があり、若草山山頂付近まで登り、さらに先に歩いたところにありますが、気持ちのいい散策ができるおすすめスポットです。)
ちょうど、この付近の川沿いにあります
月日亭という高級宿泊施設に登る分かれ道(左に登る道)があるあたりを目安に川を見下ろすと、そこに存在しています。
その手前に、川に下りる道らしきものがありますので、少し戻って、下りやすそうなところ(道とは言えそうもないところ)を選んで下ると近くで見ることができます。
足場は、悪いですが、距離も短いため、それほど難なく下りることができます。
そもそも、この石は何? 歴史や伝説があるの?
平城京への遷都が行われ、奈良時代となってから、間もない頃に祀られた磐座のようですが、現在は、磐座として祀られている様相ではなく、川沿いに存在する岩の一つというという感じに見えます。
が、この地は、現在、奈良国立博物館の近くにある「氷室神社(ひむろじんじゃ)」の創建に深く関わる地ともいわれています。
「氷室神社」の公式ページによると・・
元明天皇の御世、710年(和銅3年)7月22日、勅命により平城新都(710年は、藤原京から平城京への遷都が行われた年)の左京、春日の御蓋の御料山(春日山)に鎮祀され、盛んに貯水を起こし冷の応用を教えられた。これが平城七朝の氷室で、世に平城氷室とも御蓋氷室とも春日の氷室とも言われた。(吉城川氷室、水谷氷室などとも称したといいます。)
翌711年(和銅4年)6月1日初めて献氷の勅祭を興され、毎年4月1日より9月30日まで平城京に氷を献上せられた。(一部加筆)
氷室神社公式ページより
とあります。
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「氷室(ひむろ)」とは・・
では、次に「氷室」とは?
この時代、氷は貴重な存在で、氷を作るために氷池(ひいけ)が設けられ、冬場にそこで氷を作り、その氷を貯蔵する場所(施設)が氷室(ひむろ)です。
冷蔵庫などまったくない時代、氷室で、貯蔵した氷を春~夏に平城宮へ献上されていたという記録があるということは、夏を経ても氷が維持できる方法が確立されていたということですね。
なんともすごいです。
また、氷を貯蔵する「氷室」は、いくつかの場所に設けられたようで、現在の春日大社一の鳥居横を登ったところにある「浅茅ヶ原」にも氷室が設けられ、氷の神を祀り、春迎えの祭りを行い、平穏な気候の推移と豊作を祈願する重要な祭りも営まれたようです。
では、月日磐と氷室の関係は・・
この氷室を鎮護するために祀られたのが、「氷室神社」の創始と伝えられています。
現在の奈良公園に鎮座する「氷室神社」は、平安遷都後の860年(貞観2年)に、現在の地に遷座されたといいます。
そして、710年(和銅3年)に、御蓋山麓の吉城川上流に「氷神(ひのかみ)」をお祀りしたというのが、「下津岩根」で、これが「月日磐」とする説があります。
この説に基づけば、つまり、「月日磐」は、氷神を祀った磐座ということになるのでしょう。
そして、この付近に「下津岩根宮」という社を置いたのが氷室神社の創始ということになるのでしょう。しかし、その所在は、はっきりとは分かっておらず、推定の範囲ということになります。
氷室神社の社伝の由緒では、「氷室神社」と「月日磐」との関りについては、触れられておらず、謎につつまれた状態といっていいでしょう。
この他にも説が・・
また、「月日磐」周辺は、朝廷の食膳を司る家柄「高橋(たかはし)氏」の氏神「高橋神社」の旧鎮座地であったところではないかという説もあるようです。
高橋神社は、「延喜式神名帳」にある「高橋神社(大和国・添上郡)」に比定される式内社で、現在は、奈良県奈良市八条にある神社です。
いずれにせよ、謎につつまれた「月日磐」であります。
そして、月日磐のすぐそばには、石灯籠が存在し、ここに何らかの社があったのだろうと偲ばれるものです。
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「月日」という呼び名は?
この月日(つきひ)という呼称の由来については、保存する際に形を整えた氷、つまり「調(つき)の氷(ひ)」を貯蔵する地であることから、これをもじって「月日」と呼んだのではないかという説があるようです。
また、「磐面に日月星の三光の形を彫む」とあるように、星も描かれていたとすると日月星の三光から、「光るもの=氷」を意味するものかもしれません。(これは、勝手な想像です。)
月日磐が、
- 氷室が造られる以前から描かれた状態で存在していて、その模様が月や日をイメージしたことからその名で呼ばれるようになったのか
- あるいは、調氷の地を示すために氷室が造られたときに描かれたのか
は謎ですが、現在も時を超え、川のせせらぎを前に、存在していることに、ロマンを感じます。
春日山遊歩道(北コース)を散策の際は、是非、素通りせずに見て欲しいと思います。
(かく言う私も、しばらくの間、知らずに素通りしていました。)
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月日磐へのアクセス
春日山遊歩道(北コース)入口までのアクセスです。
入口から、月日磐までは、徒歩おおよそ10分程度です。
自由散策可能ですが、暗い時間帯は、避けた方がいいです。
アクセス
所在地:
奈良県奈良市春日野町 (自由散策)
最寄駅:
近鉄 奈良駅、JR 奈良駅
近隣の宿泊施設
奈良公園周辺のホテル・宿をお探しなら、こちら
実は、ここも奈良公園といわれるエリアなのです。
奈良の市街地から、春日山方面に歩くと、ほどなく春日山原始林の世界になります。
春日大社、興福寺、東大寺、あるいは、ならまちのほかにも、このような自然に包まれる場所があるのも、奈良の魅力です。
滞在して、奈良を満喫してみてはいかがでしょうか。
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近隣の見どころ
月日磐は、特別な関心がある方は別ですが、春日山遊歩道(北コース)の散策と合わせて見るのがお勧めです。
春日山遊歩道(北コース)は、春日大社本殿前の駐車場付近から、若草山山頂や、鶯の滝に向かうことができる遊歩道です。
さらに遊歩道を進むと、春日山遊歩道(南コース)や滝坂の道へも周遊することができます。
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