史跡 川原寺跡 ~ 川原寺・弘福寺 飛鳥時代の大寺に思いを馳せる~|画像たっぷり 奈良

奈良県中部
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飛鳥時代の中心地に位置する川原寺(かわらでら)。飛鳥三大寺、四大寺といわれながらも、歴史の舞台から姿を消していく・・そんな不思議なお寺です。
現在は、中金堂跡に弘福寺が建ち、創建時の伽藍が偲ばれる史跡として飛鳥時代に思いを馳せる場所の一つです。

川原寺(かわらでら)・弘福寺(ぐふくじ)の概要

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歴 史

創建時は、飛鳥三大寺・飛鳥四大寺の一つであったが、創建につては謎のまま

創建時の川原寺を復元する模型(飛鳥資料館)
  • 「川原寺(かわらでら)」の創建については、いまだ謎に包まれています。
  • 天智天皇が、母である斉明天皇の菩提を弔い 川原宮跡(斉明天皇が一時的に営んだ宮の跡)に建立したというのが有力な説です。
    (だた、創建に関する記録がなく、分かっていません。後半にもう少し追記します。)
  • 「川原寺」は、飛鳥時代、「飛鳥寺」「大官大寺」とともに飛鳥三大寺、その後、創建された「薬師寺」を加え、飛鳥四大寺に数えられる大寺でした。
  • そして、天武天皇の時代には、国の行事に重宝された形跡(日本書紀の記述)もありますが、天武天皇崩御後は、歴史の舞台から姿を消してしまい、以降の記録がほとんどなくなってしまします。  

     

平城遷都では・・

  • 平城京への遷都が行われた際に、川原寺以外の飛鳥四大寺のお寺(薬師寺、大官大寺、飛鳥寺)は、平城京へ遷寺しますが、なぜか「川原寺」は唯一、飛鳥に留まります。
  • この経緯は、不明ですが、飛鳥の地で、乙巳の変を目の当たりにした皇極天皇、その後重祚で斉明天皇となり、飛鳥に文化をもたらした、そんな斉明天皇のゆかりの寺は、飛鳥に残すべきと考えられたのでしょうか(これは、勝手な想像です。)

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その後・・

  • 9世紀(平安時代初期)に、嵯峨天皇がこの寺を「空海」に与えたといわれています。
  • そして、やがて東寺の末寺となります。
  • 平安時代以降には、3度の火災に見舞われ、1191年(建久2年)の火災では、伽藍全体に及ぶ大火であったようです。
    (これは、九条兼実の日記「玉葉」の記述にもあるようで、発掘調査でも確認されていすようです。)
  • 13世紀には順次再建されますが、16世紀に再度焼失してしまい、室町末期には廃寺となってしまします。

現在の川原寺(弘福寺)は・・

  • 江戸時代中期に川原寺の金堂跡地に現在の「弘福寺(ぐふくじ)」が建てられ、「弘法大師ゆかりの寺」として、川原寺の法灯を引き継いでいるようです。
  • 周辺には、創建時の川原寺の伽藍を偲ぶ遺構が復元され、「史跡 川原寺跡」となっています。
  • 中金堂跡に建つ現在の「弘福寺」は、小ぢんまりとしていますが、28個の瑪瑙(天智天皇の時代のもと推定される大理石)の礎石が残り、これに触れることができます。

創建時の川原寺を偲ぶ

1957年~58年(昭和32年~33年)に発掘調査により、創建時の伽藍が確認されています。
東西の長さは150m以上(今までの発掘調査でわかっている限り)南北に330mという広い敷地に、一塔二金堂式で左右対称の川原寺式とも称される珍しい伽藍配置のお寺だったようです。

現在は、周辺に復元された遺構から、かつての規模を実感することができます。
中金堂の跡地に、現在の川原寺(弘福寺)が建ち、その周囲に、西金堂跡、塔跡、僧坊跡、回廊跡が復元されています。

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川原寺の画像ギャラリー

 画像を「クリック」すると大きく見られます。
 スマホでは、タップで拡大後、「スワイプ操作」で次の写真が見られます。

撮影:2022年(令和4年)1月

Photos by Catharsis  無断転載禁止 ©Catharsis 2021-2022


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川原寺の見どころ

かつての伽藍の復元基壇

現在の弘福寺の場所が、「中金堂」が置かれていた場所です。その前には、東に「塔」、西に「西金堂」が建ち、「中門」から回廊が取り囲むように造られ、「中金堂」の北には「講堂」が置かれ、講堂を取り囲むように僧坊が三面に置かれていたことが遺構から実感できます。

     

本 堂

ご本尊は、十一面面観音像。弘法大師が、宿舎として利用した際に造られたという木造持国天、多聞天立像(重要文化材財)や日本で3番目に古いとされる十二神将が収められています。

     

瑪瑙(めのう)の礎石<かつての金堂の礎石>(パワーストーン)

28個ある柱石(大理石)があり、飛鳥時代の歴史に触れることができるようなパワーストーンともいわれています。

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謎多き川原寺について

まず、川原寺の正式な読み方は・・・

  • 現在の川原寺(弘福寺)では、川原寺を「かわはらでら」と呼んでいるようですが、史跡上は、「かわらでら」と呼ばれているようです。
  • 川原宮(かわらのみや)の流れをくむとすれば「かわらでら」と呼ぶのがいいのではないかと感じます。

     

川原寺についての記録は・・・

  • 記録がないため、創建目的や発願者などを知ることができないようです。

・「日本書紀」にも、その創建目的や発願者等についての記述がない
・室町時代末期に焼失して以降完全に廃寺となったために寺伝も残されていない

  • したがって、創建については、諸説はあるものの、未だ確定できていないようです。

     

創建についての有力説は・・・

斉明天皇没後から天武朝初期までの間、即ち661~670年代の間に斉明天皇の冥福を祈る為に、天智天皇が発願し斉明天皇の宮であった川原宮の跡地に建立されたのではないかというのが最も有力な説となっているようです。

川原寺は、飛鳥宮(飛鳥板蓋宮・後飛鳥岡本宮などのが置かれた場所)に隣接する場所にあります。

川原宮(かわらのみや)とは
  • 川原宮(かわらのみや)は、飛鳥時代の宮の一つです。
  • 656年 斉明天皇(皇極天皇の重祚)は、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)で即位しますが、間もなく火災になり、一時的に宮を移します。その宮が、川原宮です。
    (斉明天皇が、宝皇后(舒明天皇の皇后)の時代に、皇后宮として使用していた宮でもあります。)
  • 飛鳥板蓋宮に隣接する場所に営まれたと言われています。
  • 後飛鳥岡本宮(飛鳥板蓋宮と同じ場所)が完成すると、再び宮を移しており、川原宮は、後飛鳥岡本宮完成までの仮の宮と考えられています。

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創建についての裏付けとなるのは・・・

以下が確認されているようです。

<発掘調査から>

  • 伽藍配置や瓦の文様が天智天皇の大津宮にある「南滋賀廃寺」や大宰府の「観世音寺」(行軍中に崩御された斉明天皇の冥福を祈り、現地で中大兄皇子(天智天皇)が発願して建てたといわれる)と類似しているようです
  • 礎石が、滋賀県大津市石山寺付近から産出する珪灰石(けいかいせき)と考えられているようです
  • また、川原寺で使われていた瓦は、「複弁八弁蓮華文軒瓦」で、川原寺式軒瓦と呼ばれいるようです。
      
    天武天皇の時代に、近畿、東海地域の古代寺院に多くみられる瓦で、壬申の乱で功績のあった氏族の寺院と関係が伺えるようです
飛鳥資料館展示

<「日本書記」の記述から>

  • 天武天皇2(673年)年3月の条に「川原寺で経を写す」
  • 朱鳥元年(686)<天武天皇崩御の年>には、天武天皇の病が重くなり、平癒のため度々親王以下諸臣が川原寺に集まり、平癒のための儀式が行われた

などが見られるようです。

     

これらから、勝手な想像をすると

  • 斉明天皇は、朝鮮出兵の行軍中に崩御されており、663年の朝鮮半島での白村江の戦いで大敗後、飛鳥に帰還した時に、かつて斉明天皇が一時的に宮として営んだ川原宮を川原寺として、菩提を弔ったのではないでしょうか。
  • そして、川原寺の伽藍は、天智天皇の時代(在位:662年~671年)に大津宮に遷都したのちに創建され、天武天皇の時代までに完成したといったところでしょうか。

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その後の発掘調査から出土した千数百体の三尊塼仏(さんぞんせんぶつ)・・

三尊塼仏(飛鳥資料館に展示)
  • 1974年(昭和49年)、川原寺の境内北側の山肌から 千数百体の三尊塼仏(さんぞんせんぶつ)<塑像・レリーフ状の板に彫られた仏様>が出土しています。
  • 出土した三尊塼仏の大きさは大半が、縦約22.5cm、横約17.5cm、厚さ約2.5cmで、その内一点だけは約三倍の大きさのものが見つかっているようです。
  • 当初は、金箔が張られていたようです。
  • また、裏面には、「阿弥陀」とか「一二」などの文字が刻まれているものもあり、塼仏の配列を示したともみられています。
  • この調査により、ここが川原寺が焼失した際の塑像や三尊塼仏を埋納した遺構(川原寺裏山遺跡)であることが分かっています。

こうした塑像が大量に出土した事例は同時代の寺院では他に無いようです。

どのように使われていたのかは、判明していませんが、一説では創建時の中金堂の壁一面をこれらの塼仏(せんぶつ)が埋め尽くしていたのではないかとも想像されています。

その様子を勝手に想像すると、「十方諸仏の参集」の世界を壁石面に現したようなものだったかもしれません。見てみたい気がします。

中金堂の壁一面には・・(こんな感じだっかかもしれません)

先日、奈良国立博物館の特別展示で、長谷寺に秘蔵されていたという、「銅板法華説相図」を観る機会がありました。
この説相図は、大和長谷寺の開祖の「道明(どうみょう)上人」が造られたものともされています。
この道明上人は、川原寺の僧侶でありました。

「銅板法華説相図」の上部に造られている「十方諸仏の参集」様子を見たときに、なんとなく川原寺の千数百の三尊塼仏(さんぞんせんぶつ)とのつながりを感じてしまい、川原寺の壁にもこの様子が造られていたのでは・・・などと想像してしまいました。

また、インド仏教寺院に同様の事例があるようで、

それと同様の造りをすることで、国際社会の中で

諸国の要人に日本の力を見せるためのものであった

のかもしれません。

石を用いた都市計画を進めた斉明天皇を讃えて冥福を

祈るためのお寺にふさわしい造りが模索されたのかも

しれません。

(いろいろと勝手な妄想で、飛鳥のロマンに思いを

 馳せすことができます。)


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川原寺へのアクセス

アクセス

所在地:
 奈良県高市郡明日香村川原1109

最寄駅:
 近鉄 飛鳥駅、近鉄 橿原神宮前駅

近鉄 飛鳥駅 から

バス:飛鳥周遊バス(赤かめバス)
「岡橋本」下車 徒歩3分
「川原」下車 徒歩2分

レンタサイクル:
 約12分(約2.3km)

徒歩:
 約30分(約2.3km)

近鉄 橿原神宮前駅 から

バス:飛鳥周遊バス(赤かめバス)
「川原」下車 徒歩2分
「岡橋本」下車 徒歩3分

基本情報

入山料:
    300円

拝観時間:
    9:00~17:00
    年中無休
   (特別な事情がある場合を除く)

駐車場:
   なし(近隣の提携の駐車場利用)

情報が変更になっている場合あがありますので、参拝にあたっては、公式ページをご確認ください。

近隣の見どころ

川原寺は、飛鳥宮に隣接する位置に建てられたお寺で、飛鳥時代は、中心地にありました。南側には、向かい合うように聖徳太子が生まれたといわれる「橘寺」があります。
そして、乙巳の変があった、「飛鳥宮跡」を中心に、「飛鳥寺」「岡寺」「石舞台」「酒船石遺跡」のほか、いくつかの遺構や石物を巡り、「高松塚古墳」「キトラ古墳」「藤原宮跡」「大和三山」など見どころが多くあります。

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結構広いエリアです。レンタサイクル(飛鳥駅付近にあり)で巡るのもおすすめです。
また、「飛鳥資料館」は、飛鳥の見どころが凝縮されていますので、全ても周り切れない場合は、ここを見学するのもおすすめです。


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