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世界遺産 唐招提寺 ~天平創世期の姿が偲ばれる伽藍~|画像たっぷり奈良

奈良市周辺(奈良県北部)

唐招提寺は、唐の高層「鑑真大和上」が苦難の末、来日をはたし、759年(天平宝字3年)に戒律を学ぶ人たちの修行の道場として開いたのが始まりです。境内には、金堂、講堂、宝蔵・経蔵の二棟の校倉、鼓楼などの国宝が並び、天平時代の創建当初の姿を伺い知ることができ、美しい寂を感じます。

2023年(令和5年)12月には、奈良市観光協会が、投票によって選定した「新・南都八景」にも選ばれています。

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唐招提寺はどんなお寺?

唐招提寺は、唐の高層「鑑真大和上」が、759年(天平宝字3年)に戒律を学ぶ修行の道場として開かれたお寺です。
焼失した塔堂はあるが、現在も境内には金堂、講堂、宝蔵・経蔵の二棟の校倉、鼓楼などの伽藍が立ち並んでおり、天平期創建時の姿を伺い知ることができます。

     

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唐招提寺の縁起

  • 759年に「鑑真和上」が私寺として戒律の専修道場を創設したのが、唐招提寺の始まり。
  • その時の名称は「唐律招提」(「招提」は、寺院、道場 の意)
  • 奈良の大寺のほとんどは、勅願による官寺ですが、唐招提寺は、鑑真和上発願による私院。
  • 創建当初は、新田部親王の旧宅を改造したものだったが、その後、朝廷や鑑真和上を支持する人々から居室や宿舎を贈られ、倉庫、食堂、講義用の講堂、本尊を安置する仮金堂などが建てられていきます。
  • 鑑真和上の没後も金堂や東塔が建立され、金堂は、弟子の一人であった如宝の尽力により、建てられ、8世紀後半の平安時代初頭に伽藍全体が完成したといわれています。
  • そのころに「唐律招提」から「唐招提寺」となります。

   

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鑑真和上とは

  • 鑑真和上は、688年に中国揚州で生まれ、14歳の時に揚州の大雲寺で出家する
  • 21歳で長安の実際寺の戒壇で弘景律師に受戒を受けたのち、その後、広く戒律を講義し、長安、揚州に並ぶものがない律匠といわれる
  • 742年に日本(聖武天皇)からの熱心な招きに応じ、来日を決意するが、当時の航海は極めて難しく、5度の失敗により、盲目となってしまう
  • 753年6度目の渡航で来日に成功
  • 翌年、東大寺大仏殿の前に戒壇を築き、僧俗に戒壇を授ける。(これが、日本初の正式受戒となります。)
  • 来日後は、5年間を東大寺で過ごし、戒壇院での授戒を制度として確立に努める
  • 東大時の5年を経て、758年に「大和上」の称号と、新田部(にたべ)親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を賜り、759年に鑑真和上の私寺として戒律の専修道場(=唐招提寺)を創設

     


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唐招提寺 天平時代を偲ぶ伽藍のギャラリー画像

画像を「クリック」すると大きく見られます。
スマホでは、タップで拡大後、「スワイプ操作」で次の写真が見られます。

撮影:令和3年7月

Photos by Catharsis  無断転載禁止 ©Catharsis 2021-2024


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唐招提寺の拝観どころ

伽藍図

     

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南大門

唐招提寺の入り口となる門。1960年(昭和35年)に天平様式で再建されたもので、五間の中央に三扉とする、切妻造りの建物です。

掲げられている扁額(へんがく)です。
現在、掲げられているものは複製ですが、実物は新宝蔵に収蔵されています。

     

金堂:国宝

現在、日本に残る最大の天平建築で、8世紀後半(奈良時代)に創建
その時代の姿を残す、正面間口は七間、奥行き四間の寄棟造で軒を支える組み物は三手先(みてさき)と呼ばれる形式が使われている建築物。

中央には、本尊の盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像、左に千手観音立像(いずれも国宝)が並んでいる

平成12年から約10年をかけて本格的な解体修理が行われ、平成21年11月に終了しました。

   

講堂:国宝

平城宮の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を移築・改造した8世紀後半(奈良時代)の建物で、天平時代、平城宮の面影をとどめる唯一の建築物として貴重なもの。
外観は平屋の入母屋造で、現在の姿は鎌倉時代の改造によるところが大きいといわれます。

本尊弥勒如来坐像(重要文化財:鎌倉時代)と、持国天、増長天立像(重要文化財:奈良時代)の他の仏像が安置されています。

   

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鼓楼:国宝

1240年(仁治元年:鎌倉時代)の創建。
名称は「鼓楼」ですが、現在は鑑真和上将来の仏舎利を安置しているため、「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれています。
2階建てで、上下階とも扉と連子窓(れんじまど)があり、縁と高欄が取り付けられています。

堂内の厨子には、仏舎利を収めた国宝の金亀舎利塔(きんきしゃりとう)が安置されています。

「金亀舎利塔:国宝」は、 南北朝時代(14世紀)のもので、鑑真和上が渡海中に、海に沈んだ舎利を亀が背にして浮かび上がってきたとの古事にちなんで造られたものです。

   

礼堂(らいどう)・東室(ひがしむろ):重要文化財

馬道(めどう)

鼓楼の横にある南北19間の細長い建物。
南側8間が「礼堂(らいどう)」、北側10間が「東室(ひがしむろ)」、その間に1間が通路になっており、馬道(めどう)と呼ばれています。
かつては、講堂を挟んだ西側にも同様の建物があり(西室跡)、僧房として使われていました。

「礼堂」は、隣の「鼓楼」に安置された「仏舎利」を礼拝するための堂で、内部に釈迦如来立像(重要文化財)と日供舎利塔(重要文化財)が安置されています。

   

開山堂(かいざんどう)

元禄時代に徳川家歴代の御霊殿として建立されました。
1881年(明治14年)に鑑真大和上の尊像を安置するため現在の位置へ移築されましたが、国宝の和上像が御影堂へ移されたため、覚盛上人・聖武天皇・徳川家康の坐像を安置した本願殿となりました。
その後、御堂の老朽化のため改修工事が行われ、鑑真大和上の没後1250年になる2013年(平成25年)に、大和上のお姿を写した「御身代わり像(おみがわりぞう)」がつくられ、安置され、改めて開山堂として落慶されたものです。

開山堂手前には、1688年(貞享5年)、鑑真和上坐像を拝した芭蕉が詠んだ「若葉して御目の雫拭はばや」の句が刻まれた句碑があります。

     

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経蔵(きょうぞう)・宝蔵(ほうぞう):国宝

礼堂の東側に並んで建つ高床式の校倉(あぜくら)で、どちらも8世紀(奈良時代)のものです。

経蔵は、小さな方で、唐招提寺創建以前の新田部親王邸の米倉を改造したものといわれています。
唐招提寺で最も古い建造物であり、日本最古の校倉です。

宝蔵は、経蔵より一回り大きい校倉です。
経蔵の北側に建ち、唐招提寺創建にあわせて建立されたといわれています。

     

戒壇(かいだん)

戒壇は、僧となるための授戒が行われる場所です。
創建時に築かれたとされていますが、中世に廃され、その後再興されたものの火災により建物は焼失しています。
現在は、3段の石壇のみが残り、1978年(昭和53年)にインドのサンチーの古塔を模した宝塔が築かれています。
石段のみ鎌倉時代のものです。

     

御影堂(みえいどう):重要文化財

元は、興福寺の別当坊だった一乗院宸殿の遺構で江戸時代の建造物です。
明治以降は県庁や奈良地方裁判所の庁舎として使われたものを1964年(昭和39年)移築復元されました。
鑑真和上坐像(国宝)が安置されており、昭和46年から57年にかけて東山魁夷画伯が描かれた、鑑真和上坐像厨子扉絵、ふすま絵、障壁画が収められています。

     

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開山御廟(かいざんごびょう)

境内の奥まった静かな場所に位置する鑑真和上の墓所です。
ここに向かう門を入ったところには、美しい苔が一面を覆っています。
また、御廟前には、和上の故郷の揚州から贈られた「瓊花(たまばな)」が植えられ、初夏にその可憐な花を咲かせます。

     

新宝蔵(しんほうぞう)

1970年(昭和45年)に、唐招提寺が伝える 多くの文化財を管理・収蔵するために建てられた収蔵展示施設です。
金堂に安置されていた木造大日如来坐像(重要文化財)のほか、旧講堂木彫群と呼ばれる、奈良時代末期に制作された多数の木彫像が収められています。

開館期間は、
 3月1日~6月30日、9月1日~11月30日、
 12月31日~1月3日
(※8月10日頃に数日間の臨時開館があります。)
開館時間は、9:00~16:00

弁天社

特に説明はされていませんが、唐招提寺を守るための神社だと想定されます。

南大門を入り、右手に細い参道があり、その先にあります。

     

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醍醐井戸、本坊(蓮の季節は必見)周辺

本坊の蓮の花も、閑静な雰囲気がなんも言えません。この周辺の醍醐井戸や中興堂、御影堂に続く道は閑静で素晴らしいです。また、唐招提寺を守るためと思われる末社もあります。

本坊
醍醐井戸
中興堂

     

境内外の神社

境内からは行くことができませんが、境内の神社以外に唐招提寺を守るものであろう神社が存在します。いずれも、境内を出て、秋篠川沿いから回り込んで行くことができます。

水鏡神社

水鏡神社は、現在の境内からも道が続く位置にありますが、境内からの参道は閉ざされています。
古地図には描かれていますので本来は唐招提寺の境内なのでしょう。
縁起に鑑真和上とのゆかりの地である説と、菅原道真のゆかりの地であるという説があることが、境内から一線を画しているのでしょうか。

天満神社

もう一つの天満神社は、開山御廟(かいざんごびょう)の裏手辺りに位置します。
鍵が掛けられ、閉ざされており、社を見ることはできません。


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おすすめ時期

御影堂供華園

4月下旬~5月上旬
※花の状態によって、期間が決められます。

鑑真和上の故郷の江蘇省揚州市の名花で、白い花を咲かせる「瓊花(けいか)」の見頃に合わせ、御影堂供華園が特別開園されます。

うちわまき

毎年 5月19日 15:00~
※ うちわまき参加券は当日配布されます。

上人の命日に執り行われる中興忌梵網会(ちゅうこうきぼんもうえ)の法要の後、舎利殿(鼓楼)から数百本のうちわがまかれます。

鑑真和上坐像 特別開扉

毎年6月5日~6月7日 9:00~16:00

国宝鑑真和上坐像を収めた厨子の扉が特別に開かれ、そのお姿を拝観することができます。
(特別拝観料 大人500円)

礼堂 特別公開

毎年10月21日~23日
9:00~16:00

釈迦念仏会(しゃかねんぶつえ)にあわせて、鑑真大和上請来の「如来舎利三千粒(にょらいしゃりさんぜんりゅう)」を収める「金亀舎利塔(きんきしゃりとう)<国宝>」と「釈迦如来立像(しゃかにょらいりゅうぞう)<重要文化財>」が特別に公開されます。
特に21・22日の昼の法要後には、国宝の金亀舎利塔を間近に拝観することができます。

蓮の花


※ 年中行事のいくつかを記しましたが、これ以外にも行事は行われます。詳細は、公式ページをご確認ください。

唐招提寺の公式ページ(年中行事)はこちら

      

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唐招提寺へのアクセス

アクセス

所在地:
 奈良市五条町13-46

最寄駅:
 近鉄 西ノ京駅
 JR奈良駅、近鉄 奈良駅

近鉄 西ノ京駅 から

徒歩:
 約10分
 

JR 奈良駅/近鉄 奈良駅 から

バス(奈良交通):
 奈良県総合医療センター行
 「唐招提寺」下車 すぐ

駐車場:
 有(有料:150台)
  ・普通車:550円/1時間
   以降30分ごとに 110円

※ 西ノ京付近の社寺・史跡を巡るのには、
  自転車(レンタサイクル)がお勧めです。
(西ノ京駅 付近で借りることもできます。)

基本情報

拝観時間:
   8:30~17:00
   (受付は、16:30まで)

拝観料:
   大人 1,000円

(公開期間のみ別料金で拝観可)
 ・国宝 鑑真和上坐像 特別公開 500円
 ・新宝蔵 200円

※ 塔掲載内容から、変更になっている場合がありますので、ご了承ください。

唐招提寺の公式サイト(拝観情報)はこちら

     

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周辺のスポット

徒歩圏内には、「薬師寺」があります。
少しマニアックではありますが、「天満」を冠する神社がいくつかあります。薬師寺と唐招提寺の間の道すがらの線路向こうに、かつては、薬師寺の境内であったといわれる「養天満宮」があります。

この他、少し距離はありますが、「喜光寺」「菅原神社(菅原道真公は、この辺りでの生誕)」「西大寺」「秋篠寺」「平城宮跡」などがお勧めです。

蓮の花の季節は、ロータスロードとして、「薬師寺」「唐招提寺」「喜光寺」「西大寺」の四ヶ寺共通拝観券で、蓮の咲く境内を拝観することができます。(2,700円/2,000枚限定)

     

奈良公園近隣の宿泊施設

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