酒船石遺跡の謎に迫る ~【第三部】酒船石の用途はコレ!? ~

奈良県中部

いよいよ酒船石遺跡の最終章です。ここ【第三部】では、「酒船石」にフォーカスし、これが何に使われていたのか?に迫りたいと思います。
これは、2025年2月に放送されたNHKの歴史探偵「飛鳥の巨石は何を語る?」の説に大いに賛同し、自分なりにも探求してみたものです。

飛鳥の謎の石の代表格の一つである「酒船石」。その用途は、明治時代より本格的に研究され、酒船石という呼び名ともなった酒造りのための石という説や、油絞り、砂金や水銀などの精選、天体観測、曲水の宴や祭祀、占いの施設など様々に及んでいますが、いかに・・・。

では、第三部でも、飛鳥の風を感じながら、お読みいただければ幸いです。

三部構成の長編となりました。第一部第二部 も是非併せてご覧けると酒船石遺跡の全体像がお分かりいただけると思います。

     

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酒船石の用途についての様々な説は、幾何学的な模様から

酒船石
酒船石

確かに、酒船石だけにフォーカスし、その幾何学的模様に着目すると、

  • 酒や薬、水銀朱など造るための道具(装置)
  • 油を搾るための道具(装置)
  • 砂金や辰砂(しんしゃ:朱色の顔料や水銀の材料)などを採集するための道具(装置)
  • 鑑賞や遊戯(曲水の宴など)に使う流水施設
  • 中には「流体素子(水量を制御調整するためのスイッチ)のパターンである

など、様々な想像が膨らんでいくものでした。


しかしながら、どれも、決定的なものには至っていません。

     

また、酒船石は、長手方向の左右が人為的に割られており、欠損しています。これも、謎を解明する阻害要因でもありました。

※ 割られた部分は、おそらくは、戦国時代に、高取城の築城に使われたともいわれていますが、これも定かではありません。

      

酒船石の用途を想定する際には、この欠損部の復元が必要で、その復元案も作られています。
2案ありますが、昨今では、「推定復元イメージ(2)」のように各終点となる丸い溝からも水が流れ出るように溝が彫られていたたと考えられているようです。

復元案で、幾何学的模様の全体像を見ても、何とも奇妙で何か意図があるように思え、様々な説が出てくるのが納得できますね。

     

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そして、周辺の発掘物と併せ、説が集約?!

ただ、用途を考えるにあたっては、周辺の発掘物も併せて考えていく必要があります。
そして、なぜ、このような大きな石をわざわざ(意図的に)丘の上に置いたのかという点を考えた上で、その石に彫られた幾何学的な模様は、何のための彫られたものなのかを考える必要があります。

そんなことから、昨今では、国家の祭祀の際の占いに使われていたとする説が有力となっていますが、もう一つの流水施設案も併せて掘り下げてみたいと思います。

ここまで書いて、少しばかりの反省が・・・。

第一部や第二部を通じて、酒船石の用途についてほぼ結論付けをしてしまっている・・・かもです。

では、二つの説を順に紹介していきます。

     

「鑑賞や遊戯(曲水の宴など)に使う流水施設」説

ということで、まず、一つ目が、「鑑賞や遊戯(曲水の宴など)に使う流水施設」という説です。

この説は、酒船石のすぐ近くから発掘された「車石」と呼ばれる溝が彫られた16個のと関連付けられたものです。
(車石の現物は、飛鳥資料館の庭で見ることができます。)

丘の頂に「酒船石」を置き、そこから水が注がれ、「車石」の樋󠄀を流れ、飛鳥京跡苑池 に置かれた「出水酒船石」に流れ込むという大規模な庭園施設という考え方です。

ちなみに、「酒船石」と呼ばれる石は「岡の酒船石」と「出水酒船石」の二つがあります。
出水酒船石」と呼ばれるものは、飛鳥京苑池跡から発掘されています。

区別するために、酒船石遺跡の酒船石は、「岡の酒船石」(岡は地名)と呼ばれることがあります。

     

話は戻りますが、「車石」の発掘場所が、酒船石の南側(亀形石造物側とは反対側)であったことと、そもそも亀形石造物は、単独で湧水機能が設けられていたため、水は、酒船石から南側に流されたと想定されたのでしょう。

つまり、「(岡の)酒船石」を起点に、「車石」の溝を流れ、飛鳥川に至り、さらに飛鳥宮西側の苑池(飛鳥京跡苑池)へとつなぐ、大規模な流水庭園が築かれたということになろうかと思います。

この構想からは、起点となる「酒船石」は山の頂に置く必要があるとも考えられます。

これが、一つ目の説になります。

この場合の「酒船石」の用途は、曲水の宴や余興として遊戯的に使われたとも考えられますね。

    

実は、この想定は、飛鳥資料館の庭に再現されており、実際に水が流れる様子を見ることができます。

     

飛鳥の都には、国内外からの来訪者が多く、宴も多く催されたことでしょう、新しい都のたたずまいとしての施設づくりといったところでしょうか。

亀形石造物のエリア風流を楽しみ、丘を登り、酒船石で余興が行われるみたいなことが考えられなくありません。
飛鳥京跡苑池や、石上遺跡など様々な趣向の庭園が設けられ、おもてなしの対象者によって場が選ばれたのかもしれません。

しかしながら、この説には疑問点がぬぐえないと感じる点があります。

  • まず、酒船石から車石で流し、飛鳥川にまで至るような水量の水を、丘の上までどのように運んだのかという点です。
    その水量は、半端でありませんので、丘の上で水を得るための大規模な導水設備が発掘されても不思議ではありませんが、そのような発掘はまだされていないようです。(これから発掘されるかもしれませんが・・・)
  • 次に、周辺の発掘物の石垣ですが、そもそも宴やおもてなしのための施設の石垣を造るために、わざわざ大規模な水路を造り、約12㎞離れた天理の石上から舟でその石を運搬する必要があったのかという点です。

・・・やはり、無理があるように感じます。

というわけで、次の最有力説に迫ってみたいと思います。

     

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「国家的祭祀や祈祷で使われる呪術的な占い道具」説

第一部、第二部を通じて述べてきた内容ですが、この地は、国家の祭祀や祈祷の施設であるということを前提とした説となります。


内容を簡単に要約すると

  • 酒船石遺跡は、斉明天皇期2年に石垣が造られたとされる「宮(現在の飛鳥宮跡)の東の山」であることは、ほぼ間違いありません。
  • さらに、その頂には「両槻宮(ふたつきのみや)」が置かれた可能性もあることです。(個人的には、ほぼ間違いないと感じています・・・)
  • 「両槻宮」は、「天宮(あまつみや)」と呼ばれ、「天宮」は、道教において「天帝の宮殿」を指し、天帝は、「天地や万物を支配する最高神」であり、「雨や農作物の収穫を支配し、都市づくりを許可する存在」でもあります。
  • つまり、その神が鎮座する地として造成され、何らかの国家的祭祀や祈祷が行われていたと考えるのが自然だという流れです。

うん、
 前にも聴いたけど・・・

つまり・・・

「酒船石」は、この神聖な地の頂で、聖なる「占い」を行うためのものであった・・のではないでしょうか。

呪術力持つとされるような人(おそらくは斉明天皇ご自身)により、国の安泰を祈る祭祀や祈祷(五穀豊穣や雨乞いなど)が行われ、その後に「神のお告げ」を受ける儀式(=「占い」)が行われたのではないかと想像してしまいます。

ちなみに、斉明天皇(重祚:二度目の即位)が、皇極天皇であった時代の『日本書紀』の記述に、

「日照りが続いて困っていた時に、村々で神官の教えに従って、雨乞いをしたり、寺々で大乗経典を転読して仏の教えにしたがって雨乞いをしても小雨が降るにとどまったが、皇極天皇が自らひざまずいて天を仰いで雨乞いの祈祷をすると大雨が降り、5日間雨が続き天下が潤った。特別な力を持つ天皇。」

といった内容があり、これからも、この祈祷・占い説につながるように思います。

      

丘の頂にわざわざ「酒船石」が置かれた理由も、大規模な水路を造ってまで、石上(いそのかみ)の石を運搬した(神のご加護を得るがため)という点にも何となく合点が行きます。

ただ、この「占い説」の場合、周囲から発掘された「車石」が何であったのかの想定が必要かもしれません。

これについては、後ほど想像してみたいと思います。

     

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酒船石の使い方に迫る!

では、占いという観点で、実際に酒船石がどのように使われていたかに迫ります。


     

まず、酒船石の傾きに着目!

いずれの用途であったとしても、また、それ以外の第三の用途であったとしても、この酒船石の傾きには着目する必要があります。


現在、酒船石は東が高く、西側が少し低く傾いた状態となっています。
この傾きから、図の「A」(東側)の窪みから水が流され、「C」(西側)に流れ落ちると考えられてきました。
一つ目に紹介した流水施設の説も現状の傾きを前提としたものです。

え~、そうなんだぁ。
・・・それで、”何かを調合したり精選するためのもの”
みたいな説が唱えられてきた要因の一つかもしれませんね。

しかしながら、この傾きについて、近年、異なる説が出ています。

      

酒船石は当初置かれた時とは異なる傾きだった!?

実は、684年(天武天皇13年)に白鳳南海地震が起きています。
発掘調査により、この時にこの丘自体(盛土工事をしたこともあり)崩れ落ちた部分があったようです。少なくとも石垣は、崩れた状態で発掘されていたようです。
つまり、酒船石も、その地震の影響で(少なからず、ずり落ちて)傾きが変わった可能性があるのです。

     

では、その傾きを補正してみると・・・

そこで、酒船石が水平になるように補正するとどうなるかです。
西側(「C」側)を28.5cm引き上げると石が水平になるようです。

そして、その状態で、「C」の窪みから水を流すと、なんと・・・

各くぼみに万遍なく水が流れるというものです。これは、凹凸まで忠実に再現したレプリカ模型によっても実証されていました。

逆に、現在の傾斜のまま「A」の窪みから水を流しても、各窪みには枝分かれすることなく「C」に流れ出てしまうようです。

高まる~ぅ!

画像は、飛鳥資料館に再現されるものですが、こちらでも、水が流れ込まない溝がありますね。

     

つまり、「酒船石」に水を灌ぐ時には、「C」(西側)の窪みから流されていたと考えて間違いなさそうです。

     

酒船石=「占いに使われた説」に迫る

「占い」に使うとなると、何かをここに浮かべてみるというのが、普通に考えられることだと思います。
では、「C」の窪みから水を流しながら、Cの付近に「紙切れ」か「笹船」のようなものを浮かべるとどうなるか・・・です。
これも実験されていました。

流された「紙切れ(笹船)」は、1~6のいずれかの窪みに流れ込みます。

それが、何とも不思議で、これを何度行っても、その流れ込む先は、都度異なり、どの窪みに流れ込むかが想定できないという結果なのです。

なるほど、占いをするための道具(装置)として機能していますね!
  
やはり、占い説は、結構真実に迫っていそうです。

でも、この模様は、適当に考えたとは思えないので、何かを描いたものなのでしょう。

     

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ということで・・・

     

酒船石の幾何学的模様は何?!

次に、酒船石に彫り込まれている幾何学的模様は何を描いたのかについて想像を膨らませてみたいと思います。
確かに、流れ込む先を作るにしても、意味ありげな形ですが、謎のままです。

これにも、説があります。
ここまでの流れから、「占い」に関係するものと考えていいとは思いますが、決め手のなるような説はありません。
ここでは、二つ紹介したいと思います。

     

1)星座を写し取ったもの

一つ目が、星座を写し取ったものではないかという説です。キトラ古墳にも天文図が描かれています。星座には、呪術的な力を持つとされるものもあり、占星術との関りがあるように感じます。

この酒船石にも、呪術的な力を宿られるために何らかの天文図が描かれたのではないでしょうか。
例えば、ギリシャ神話にも因んだ「プレアデス星団(おうし座の一部)」=日本では「すばる(昴)」を表すものではないかとう説もあります。

確かに、似た感じがします。
見方によては、これに違いないとも思えてしまします。

      

「すばる(昴)」は、肉眼でも数個は見えるといわれ、古代より崇められてたのでしょう。

そういえば、少し時代は後になりますが、清少納言も『枕草子』で「星は すばる、・・・」と記していますね。

また、「すばる」には、「まとまる」「統合」といった意味合いを持つようです。

      

2)陰陽五行を表したもの

もう一つは、陰陽五行説(陰陽:「地と天」、「暗と明」、「冷と暖」のように対極するものと、五行:木・火・土・金・水 で宇宙の万物を捉える)を形にして描かれたものという説があります。

だた、酒船石に描かれたそれぞれの溝が、どのように陰陽五行に割り当てられるのかが、よくわかりません(数も合いませんし)。
ただ、複数回流し、流れ着き方によって、陰陽五行と結びついた 占い結果を導き出したのかもしれません。

     

一旦の結論

他にも、諸説あると思いますがここでの一旦の結論としては、
占星術に関わるパターンであることが濃厚ではないかと思うところでありますが、未だ謎のパターン(継続)いうことになります。

     

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酒船石でもう一つ気になること

実は、他にも気になる点があります。

占いをするにしても、「どのように水を確保」し、また、「どのように流し込んだのか」ということです。
これまでの発掘結果らは、丘の上に水を導水するような設備は今のところ見つかっていないと認識しています。

であれば・・・、人力で水が運ばれたことになるでしょう。

占いに使う程度の水の量であれば、桶で水を担いで上がったのかもしれません。

・・・が、「どのように水を確保したのか?」「どのように流し込んだのか?」の それぞれについて、次の仮説を考えてみました。

     

どのように頂まで水を運んだのか

ここで、「占い説」では、触れなかった発掘物があることを思い出してください。

そう、「車石」の存在です。

前の「流水施設」説で、酒船石から流れ出た水を流すために敷かれたと考えられた石です。
この発掘で見つかった16個の「車石」が、何に使われたのかを想定する必要があります。

そこで、このように想像してみました。

「車石」は、この丘の上(すなわち「両槻宮」や「酒船石」)に、物資や水を運びやすくするための敷石ではなかったのだろうかと・・・。(まさに「車石」)

宮の建築資材や石垣づくり石の運搬などにも使われたと考えらてもよいのではないでしょうか。

もちろん、これは、想像の域を脱しませんが、こう考えると、車石が酒船石の周辺で発掘された意味も、なんとなく納得できるようにも感じます。

      

酒船石には、どのように水を流し込んだのか?

次に、水の流し込み方ですが・・・。
水を流す役目の人がいて、壷や桶のようなものから流していたのでしょうか。

亀形石造物では、地下水から導水されています。このほかにもこの時代に造られた水落遺跡では、水をある程度の高さまで導水していたり、須弥山石や石人像などでは噴水する機能も備えています。
これを考えると、水を流す役目の人が、壷から水を流していたのではなく、酒船石に水を灌ぐ構造が備わっていたと考えてもいいのではないでしょうか?

     

酒船石にも、給水装置が付けられていた?!・・・

実際に、先ほども掲載した飛鳥資料館の酒船石のレプリカでは、導水設備により、給水されています。

そんな観点で、酒船石の西側先端から南側側面を見てみると、下部にも人工的な窪みが彫られています。  

実は、これについては、あまり語られる文献が見あたりませんが、画像の①の部分に溜めた水を②に部分に設けられていた給水部に、導水する何らかの装置(機能)が、備わっていたのではないかと想像が広がります。

①の部分に溜めた水を汲み取って流したとも想像できますが、紙(笹船)を各窪みまで流し込むためには、ある程度の水量を継続的に流し続ける必要があるのではないかと思います。

そこで、②の部分の拡大図をご覧ください。

検証なし、調査無しの想像ですが・・後の時代(特に、戦国時代)に掘削されたものでなければ、何らかの目的があって彫られたものということになります。

きっとそうなのでしょう。

何かをひっかける(固定する)穴のようにも感じます。

そこで、こちら・・・

右上の白枠内は、飛鳥資料館の酒船石のレプリカに給水する蛇口のようなものです。

どのように導水するのかは不明(赤の点線で示した空白部分)ですが、酒船石に給水するための桶が置かれ、そこに水を汲み上げていた(手て汲んでいたのかもしれません)のではないかと想像しています。

さらに・・・

これ以上、何っ?

樋󠄀があってもいいかなということです。

どう見ても「F」の溝には、水ガ溜められていたとしか思えません。
また、欠損している部分も「F」の溝の上面できれいに残っていることにも何らかの意味を感じます。

とすると・・・、こんな想像が広がります。

1~6の各溝から流れ落ちた水を受ける樋󠄀(D、E)が設けられ、各樋󠄀で受けた水は、Fまで戻され、再び流せるような循環の仕組みまで設けられていたのではないでしょうか。

やっぱり、高まる~ぅ!

     

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第三部のまとめ

第三部は、最終章として、酒船石にフォーカスして、その使い方について掘り下げてみました。

  • 酒船石の用途については、過去様々な説が唱えられてきたが、酒船石が置かれる丘の位置づけ(おそらくは「両槻宮」と想定)から、「占い」に使われていたと想定。
  • 酒船石の傾きは、当初は水平で、水は西側の窪みから流され、それぞれの溝に水がいきわたるようになっていた。
  • 酒船石に彫られる幾何学的模様は、占星術と密接な関係を持つ何らかの天文図あるいは陰陽五行を表すものではないか。
  • 西側先端に設けられている溝の意味を考えると、酒船石には水を流す装置がつけられていたのではないか。

以上で、終わります。

      

飛鳥時代からのメッセージに想像は尽きなませんね。

三部構成で長くなりましたが、お読みいただいた皆様のご意見も是非お伺いしたいところです。
そこで、この記事(第一部~第三部)には、ページ下部に「コメント欄」を設けますので、お考えや感想を記していただけると幸いです。

<< 第一部から見る

最後まで、ご覧いただきありがとうございます。

関心をお持ちいただけましたら、是非実際の酒船石遺跡を訪ねてみてはいかがでしょうか。

他にも奈良に関する記事を書いていますので是非ご覧ください。

     

酒船石遺跡へのアクセス

アクセス

所在地:高市郡明日香村岡

最寄駅:
 近鉄「橿原神宮前」駅
 近鉄「飛鳥」駅 

近鉄 橿原神宮駅(東口)から

バス(奈良交通):
 明日香周遊バス 
「万葉文化館西口」下車すぐ。

レンタサイクル:
 自転車で飛鳥を巡るのもお勧めです。

近鉄 飛鳥駅から

バス(奈良交通):
 明日香周遊バス 
「万葉文化館西口」下車すぐ。

レンタサイクル:
 自転車で飛鳥を巡るのもお勧めです。

基本情報

入場時間: 8:30~17:00

 ※冬季期間中(12月1日~2月末)は
  9:00~16:00

入場料: 300円(亀形石造物を観る場合)

 ※ 石舞台古墳・高松塚壁画館・亀形石造物
   の3施設の共通入場券は、700円。

駐車場:
 隣接する万葉文化館の駐車場を利用(無料) 
 し、万葉文化館と合わせて、見学するのが
 おすすめです。

各情報は、変更になっている場合がありますので、詳細は、下記をご確認ください

一般財団法人明日香村地域振興公社

     

一般社団法人 飛鳥観光協会

     


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  1. ヒフミヨは冥途の土産勾股弦(自然数の量化) より:

     ≪…「酒船石」は、この神聖な地の頂で、聖なる「占い」を行うためのもの…≫は、数の言葉ヒフミヨ(1234)にも[無意識]に取り込まれている。 [ヒト]は、[水占い]の重力作用と数の言葉にも重力作用が[無意識]に反映している。
     このナラティブは、絵本の力で・・・
     もろはのつるぎ (有田川町電子図書館)

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