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特別史跡 本薬師寺跡 ~ 創建時の薬師寺の址が今も ~

奈良県中部

薬師寺は、当初、飛鳥・藤原京の時代に創建されました。この痕跡が、「本薬師寺跡(もとやくしじあと)」として今も残っています。
この「本薬師寺跡(もとやくしじあと)」は、かつての藤原京跡地の水田の一画の小さなエリアにあります。現在は、いくつかの礎石や塔址が残るのみですが、そこには、天武天応、持統天皇の思いが今も漂うようです。

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本薬師寺跡の概要

「本薬師寺跡(もとやくしじあと)」は、飛鳥・藤原京に建立された創建時の薬師寺の跡地です。

現在、その跡地には金堂の礎石や東西両塔の上壇、塔の心礎などが残されています。
東西塔址は、周辺の水田の一画に土檀で確認することができます。

詳細は以下で紹介します。

      

「本薬師寺(もとやくしじ)」は、現在の「薬師寺(やくしじ)」の前身にあたる寺(創建時の薬師寺)です。
現在、奈良市の西ノ京に建つ「薬師寺」は、東西の塔と龍宮造りといわれる美しい伽藍の御寺で有名ですが、創建は、飛鳥時代、飛鳥・藤原京の時代に遡ります。

      

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「本薬師寺跡」の画像ギャラリー

それでは、まず、本薬師寺跡の画像をご覧ください。
本薬師寺跡周辺の水田地には、ホテイアオイが植栽されていましたが、近年は、中止されているようです。

 画像を「クリック」すると大きく見られます。
 スマホでは、タップで拡大後、「スワイプ操作」で次の写真が見られます。

Photos by Catharsis  無断転載禁止 ©Catharsis 2021-2024


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薬師寺(本薬師寺)の創建は・・

薬師寺(本薬師寺)は、飛鳥時代、「第40代 天武天皇」が、鸕野讃良皇后(うののさらら:後の持統天皇)の病気平癒を祈願して、680年(天武9年)に薬師如来を本尊とする寺の建立を発願し、682年に着工されたといいます。
それから間もなく皇后の病気は平癒されますが、発願から6年後の686年(朱鳥元年)、逆に天武天皇ご自身が病となり、ついには崩御されてしまいます。

    

その後、鸕野讚良皇后が 「第41代 持統天皇」として即位し、夫の天武天皇の意志を継ぎ694年の 藤原京への遷都 とともに建立を続け、着工からおよそ15年を経た697年(持統天皇11年)に開眼仏会を、そして翌698年(文武天皇2年)に、ほぼ完成されました。

      

天武天皇が思い描いた本格的な都づくり、そして、薬師寺の建立、いずれもその思いを引継ぎ実現した持統天皇が、この時代にありました。    

藤原京、そして、薬師寺(本薬師寺)は、両天皇ゆかりの深い地だと感じますね。

     

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藤原京における薬師寺(本薬師寺)の場所は・・

薬師寺(本薬師寺)の建立が始まったのは、682年で、都は、藤原京の前の飛鳥京でした。

ただ、この時には、藤原京の都市づくりも計画的に進められていたようです。『日本書紀』には、684年(天武天皇 13年)には、藤原京となる地の条坊施工がある程度すすんでいたという記録も見られるようです。

   

藤原京の中心には、藤原宮が置かれ、その前には朱雀大路を敷かれ、この道を境に西側が右京、東側が左京として都市づくりが行われていたものと思います。
(図にしめした、藤原京の条坊については、正確ではないため、後日、修正をしていきたいと思います。)

    

薬師寺は、そんなか、右京八条三坊に 西三坊 坊間路 を埋め立て、三坊全域を寺域として造営されていたようです。

※ ただ、条坊については、1966年の初期の発掘調査による説で、その後、藤原京の規模がもっと広大なものであったことが分かり、条坊名も少し異なります。

そして、694年に藤原京への遷都が行われました。

     

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本薬師寺の伽藍は・・

「本薬師寺」の伽藍配置は、「現在の薬師寺」とほぼ同じ伽藍であったと言われていることから、その姿は、現在の奈良 薬師寺 に重ねて見ることができるということになります。

先ほども記した通り、現在の「本薬師寺跡」は、水田の傍らの一画に創建時の薬師寺(本薬師寺)の礎石や東西塔の跡の土檀が見られるのみですが、藤原京の守護神山ともいえる 大和三山の畝傍山 も近くに望め、この地に現在の薬師寺のイメージ重ねると創建時の飛鳥・藤原京の姿に思いを馳せることができます。

本薬師寺跡の東西塔の址の風景に現在の薬師寺の塔を重ねて見ました。

     

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藤原京から平城京へ・・

その後、710年には、「第43代 元明天皇」により、平城京 への遷都が行われます。
この平城遷都に伴い、718年(養老2年)には、薬師寺も平城京の西ノ京(現在の場所)に建立が開始されます。

平城京の都市の中での建立位置は、藤原京の時とほぼ同じように宮の南西にあたる右京で、寺の伽藍も藤原京の薬師寺とほぼ同じように造られたといいます。

そんなことから以前は、藤原京にあった伽藍がそのまま平城京に移築されたとの説もありましたが、その後の発掘調査や文献等により、平城京の薬師寺はこれとは別に造られたというのがほぼ確定的なようです。

藤原京の薬師寺は、平城遷都後もそのまま伽藍は修理されながら存続し、「本薬師寺(もとやくしじ)」と呼ばれ、飛鳥四大寺としてその後も崇拝されていたようです。

しかし、平城京への遷都以降、時の流れとともに、「本薬師寺」は、次第に衰退しながら、平安時代中頃まで存続したもののいずれ廃寺となったのではないかと推定されています。
となると、持統天皇期に開眼仏会された本薬師寺の三尊についても別に存在することになりますが、それがどのようなものであったのかは依然不明のままのようです。

       

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「本薬師寺跡」へのアクセス

アクセス

所在地:
 奈良県橿原市城殿町279

最寄駅:
 近鉄 畝傍御陵前 (橿原線)

  徒歩 約10分
※ 東出口から、東に向かい 約500メートル程度。  
  本薬師寺跡の表札が目印。

基本情報

拝観時間:
  自由散策

拝観料:
  無料

駐車場:
  無し

      

     

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