奈良を代表する桜の名所の一つ、「又兵衛桜」を写真に収めました。
樹齢 約300年と言われ、高さ約13メートルの迫力ある枝垂れ桜の一本桜で大変見ごたえがあります。
令和3年は、例年より早く3月下旬より見ごろになりました。
又兵衛桜のギャラリー
「この1本」の枝垂れ桜を観るために、例年7~8万人ともいわれる人がこの地を訪れます。
撮影時は、7分くらいの開花状況でしたが、十分にきれいに観ることができました。
是非、大きな画面でご覧ください。
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撮影:2021年(令和3年)3月
Photos by Catharsis 無断転載禁止 ©Catharsis 2021-2023
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写真の補足
花見は、たくさんの桜の木々が並ぶ桜並木を掻い潜りながら楽しむのは、この時期の醍醐味ですが、このワクワク感と異なる魅力を感じる木です。
精霊が宿っているかのような、何かを感じられる孤高の1本です。一本で、人々を引き付ける力を持っています。いろいろな角度から何枚も撮影していますが、それぞれに、何枚撮っても撮り足りないくらい、撮影をしてしまう魅力を持っています。
一本で、魅力的な桜(一本桜)は、他にもあると思いますが、この一本は、間違いなくその中に数えられる一本だと思います。
又兵衛桜の周囲には、桃や桜の木々が整備され、コラボレーションの美しさも加わっていますが、これ一本で魅了されてしまう圧巻さがあります。
又兵衛桜を観るための遊歩道も整備されています。
機会があれば、訪れて実物をご覧になっていはいかがかでしょうか。


周囲の(後ろに見える)桃色の花は、色の名前通り「桃」が中心です。
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「又兵衛桜」という呼び名の由来は?
後藤基次(通称 又兵衛)という、戦国武将の名前から「又兵衛桜」と呼ばれるようなっています。
後藤基次(又兵衛)は、豊臣秀吉の側近であった黒田官兵衛が育てた戦国武将です。
死をも恐れぬ猛将であったと言われています。
しかし、官兵衛の没後、継承した黒田長政と折が合わずに出奔、浪人生活を送っていました。
その後、豊臣秀頼挙兵の際に大坂入城し、木村重成らとともに鴫野に佐竹義宣の軍を破っています。
その翌年の 大坂夏の陣(1615年) にて、わずか2,800人の兵を率い、水野勝成、伊達政宗などの2万を超える軍勢を相手にした戦乱のなか戦死したというのが通説です。
一方で、後藤 又兵衛 基次 がこの地へ落ちのび、僧侶となり一生を終えたという伝説も残っており、後藤家の屋敷跡に、この枝垂れ桜があることから「又兵衛桜」と呼ばれています。
基本情報
見ごろ
4月上旬~4月中旬
※ 令和3年は、3月下旬より、見ごろを迎えています。(写真は、3月23日時点の様子)

又兵衛桜へのアクセス
所在地:
宇陀市大宇陀本郷
最寄駅:
近鉄 榛原駅(はいばら)
バス(奈良交通):
大宇陀行
「大宇陀高校前」下車
徒歩 約 15分
駐車場: 500円
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