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興福寺 ~ 五重塔・阿修羅像他、見どころを穴場まで紹介~|画像たっぷり奈良

奈良公園

興福寺は、近鉄奈良駅からすぐのところに位置し、奈良公園の観光ではじめに訪れることができる寺院です。五重塔や国宝館の阿修羅像が有名です。昨今、中金堂の再建も行われました。また、猿沢池から望む五重塔は、奈良を代表する景観でもあります。
ここでは、見逃しやすいポイントも含めた見どころの紹介をしています。

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興福寺の概要

興福寺の境内の明確な境界線は分かりにくいですが、かつては、現在の県庁や近鉄奈良駅の辺りも、興福寺の境内であったようです。
現在は、全盛期の規模はありませんが、復元も進められており、繁栄を極めた時期が偲ばれます。

正式名は、「法相宗大本山 興福寺」ですが、山号はありません。かつては、「月輪山(がつりんざん)」という山号が南大門に掲げられていたようですが、廃止したという歴史もあるようです。

     

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興福寺は、どんな歴史を持つお寺なのか? 簡単に列挙してみます。

藤原氏の氏寺で藤原氏とともに隆盛した

  • 藤原鎌足の病気平癒のため夫人の鏡大王が京都山科の藤原鎌足私邸に建立された「山階寺(やましらでら)」が、縁起
  • 672年の天武天皇元年に、飛鳥に移築され、「厩坂寺(うまさかでら)」に改名
  • 710年の平城遷都に合わせ藤原不比等(鎌足の子息:実は天智天皇の子という説もあり)が現在の地に移築し「興福寺」に改名
  • その後、天皇や皇后、藤原氏の人々によって、北円堂、東金堂、五重塔などが建てられ、藤原一族の氏寺として、四町四方に170坊あまりの堂舎が立ち並ぶ寺院となる
  • 奈良時代には南都4大寺、平安時代には南都7大寺の1つであり、多くの僧兵も保有された

幾度の焼失と復興を経て現在に至る

幾度と焼失と復興を繰り返し、苦難の時期もありましたが、現存する建物は、創建時の姿(和様)が踏襲されており、天平時代の様式を今に伝える建物といえるようです。
近年再建された中金堂は、さながら創建時の人々が目にした姿なのでしょう。

  • 1180年(治承4年)<平安時代末期>、平氏による南都焼討ちにより、ほとんどの伽藍が焼失、その後、復興をはたし、大和一国を支配する(大和守護職を勤める)までになる
  • 戦国時代には、徐々に勢力が衰えたが、江戸時代、1717年 (享保2年) に、講堂・僧房・中金堂・回廊・中門・南大門・西金堂・南円堂などが焼失してしまい、その後の伽藍の復興は少しずつという状況であった
  • 明治時代には、廃仏毀釈により一時は五重塔までもが売りに出されるという危機を迎える
  • しかしながら、その後の「天平の文化空間の再構成」の掛け声のもと伽藍の整備が進められ、2018年(平成30年)には、1717年(享保2年)に焼失したままとなっていた「中金堂」が、約300年ぶりに天平の姿で再建されました

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興福寺 拝観どころ

画像を「クリック」すると大きく見られます。
スマホでは、タップで拡大後、「スワイプ操作」で次の写真が見られます。

Photos by Catharsis  無断転載禁止 ©Catharsis 2021-2024

ここでは、冒頭に述べました通り、五重塔や阿修羅像が置かれる国宝館、東金堂、中金堂、南円堂、北円堂などのメジャーな伽藍をはじめ、旧境内に広げて見落としやすいスポットを紹介しています。

興福寺拝観の際の参考となれば幸いです。

現境内並びに周辺の旧境内であったスポットをマップ並びに、順番に紹介していきます。
順番に見ていただければ、見どころを確認いただくことができると思います。
また、順次、おもな見どころについては、詳細ページを作成していきたいと思います。

     

マップ

近鉄奈良駅、JR奈良行から 興福寺に向かうルート

近鉄奈良駅から
駅前の大通りの緩やかな上り坂を大通り沿いに5分くらい歩いたところにあります。
このルートは、仮講堂側から入るルートです。
また、商店街(ぎがしむき商店街)を抜け、猿沢池側から入るルートもあります。

JR奈良駅から
バス(市内循環<外回り>)で「県庁前」下車すぐですが、歩くこともできます。
歩くときは、駅前の商店の並ぶ道(三条通り)を真っすぐ東に進むと、興福寺にたどり着きます。

その他、商店街(東向き(ひがしむき)商店街)の途中から北円堂の前に向かう道(上り坂)がありますが、この道使う人は少ないように感じます。


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現在の境内

※ 興福寺の案内図に描かれる範囲を「現在の境内」として紹介させていただいています。

東金堂(国宝)

※ 2023年6月より、約1年程度(予定) 拝観が中止となっています。
  五重塔修復工事に伴い、東金堂前が資材置き場となるためのようです。
  また、この間は、中金堂の拝観が可能となっています。

  • 東金堂は、726年(神亀3年)聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気全快を願って建立(その後5回の被災、再建)
  • 現在の建物は、1415年(応永22年)<室町時代>に再建されたもの
  • 寄棟造で、三手先斗栱(みてさきときょう)の組物が多用され、奈良時代の創建当初の雰囲気を伝える
  • 堂内には、本尊薬師如来坐像<室町時代に造立>を中心に、日光・月光菩薩(にっこう・がっこうぼさつ)立像、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)坐像、維摩居士(ゆいまこじ)坐像、十二神将立像、四天王立像などが安置(拝観可能)

また、東金堂には、かつては、門があり、 五重塔まで囲むように回廊と塀が設けられていたようで、2021年(令和3年)7月から10月 まで東金堂前の発掘調査が行われました。

     

国宝館

  • 1959年(昭和34年)に、創建時の食堂の外観を復元して建てられたもの
  • この場所は、かつて「食堂(じきどう)=僧侶が食事をする堂」が建てられていた場所で、地下には、奈良時代以降の旧食堂の遺構がそのままの形で残されているようだ。

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  • 旧食堂の本尊千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)立像を中心に、興福寺の歴史を伝える仏像彫刻や絵画、工芸品、典籍・古文書、歴史資料・考古遺物などの他、飛鳥の山田寺から運ばれた7世紀の銅造仏頭(ぶっとう)などの国宝が収蔵

天平彫刻の傑作として、多くの人びとが

魅せられる阿修羅像もここで見ることが

できます 。

   

中金堂

  • 中金堂は、藤原不比等(ふひと)によって創建されたとされる(創建以降 6回 の焼失、再建)
  • 創建当初の中金堂には、丈六釈迦如来像を中心に、薬王(やくおう)、薬上菩薩(やくじょうぼさつ)像と十一面観音菩薩像を脇侍(わきじ)に従え、四天王像が、また、不比等の没後の721年(養老5年)には妻の橘三千代により弥勒浄土変の群像も安置されたといわれる
  • 落慶後、公開された以降、特定期間を除き、ほぼ公開されていない状態でしたが、五重塔朱副工事に伴う、東金堂の拝観中止期間(2023年6月より約1年程度の予定)中金堂が公開されています。
  • 1717年(享保2年)に焼失した以降は、財政的に再建が難しく、「仮堂」を経て、ようやく近年の再建計画により、2018年(平成30年)に、約300年ぶりに再建落慶を迎えた

     

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仮講堂・経蔵跡

  • 1717年(享保2年)に出火による被災後は、再建されないままであった
  • 1975年(昭和50年)、ここに不要になった薬師寺の旧金堂(室町時代の寄棟造、本瓦葺)が移建され、興福寺金堂(仮金堂)の役目を担った
  • 2018年(平成30年)に中金堂の再建落慶により、「仮金堂としての役目」が終わり、講堂跡であることから「仮講堂」と呼ばれている
  • 通常は、非公開ですが、毎年11月13日(19:00から)の慈恩会(じおんね)のときのみ入堂できるようです
  • 長期的には、本来の「講堂」として再興が予定されている模様
  • また、仮講堂の手前には、最近(令和3年)、経蔵堂の基壇が復元されいる

     

五重塔(国宝)

しばらくの間、修復工事が行われ、その姿は、観られなくなります。
(2023年6月時点で、1層目に足場が組まれています。)

  • 730年(天平2年)興福寺の創建者である藤原不比等(ふひと)の娘の光明皇后の発願で建立
  • その後、5回の焼失、再建されている
  • 現在の塔は、1426年(応永33年)頃、再建されたもの
  • 奈良の風景を象徴する塔で、現在も木造建築では、京都の東寺に次いで日本で2番目に高く、創建当初は、日本で最も高かった(約45m)と言われる
    (近い将来、補修工事が計画されている模様)
  • 通常は非公開だが、特別開扉が行われることがある
  • 三手先斗栱(みてさきときょう)と呼ばれる組物などの奈良時代の特徴と、中世の豪快な手法が取り入れられている

     

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南大門跡

  • 南大門跡は、中金堂の真正面にあり、江戸時代までは金剛力士像も鎮座する大きな山門が存在
  • 現在は、築地塀が残っていないため、猿沢池側(南側)から興福寺に入れる入口はいくつかあるが、以前南側の門は、ここだけであったようだ
  • 現在は基壇と柱の跡のみが復元されている

      

額塚

  • 冒頭にも述べましたが、かつては、興福寺にも「月輪山(がつりんざん)」という山号額が南大門に掲げられていたようだ
  • 天平の頃、南大門前に大きな穴が開き洪水が噴出したり、無風状態なのに樹木が倒れたりすることがあったという
  • ある僧の夢にお告げがあり、山号の「『月輪』は水に縁があるため水が出る」と考えられ、山号額が取り外されると、その後は禍(わざわい)が収まったという
  • そして、山号額は茶臼山に埋められたという話があり、額塚となっています。

額塚は、見落としやすいですが、南円堂前の手水舎の後ろにあります。

     

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南円堂(重要文化財)

  • 813年(弘仁4年)藤原内麻呂(うちまろ)の冥福を祈るために 子の藤原冬嗣(ふゆつぐ)によって建立(創建以来4度再建)
  • 現在の建物は、1789年(寛政元年)に再建のもので、北円堂などの円堂を参考に、江戸時代の様式も取り入れられ、正面に唐破風(からはふ)を付けた「拝所」が設けられている
  • 1996年(平成8年)に修理を完了し、朱色が色濃く見られる
  • 内陣には慶派仏師の康慶(こうけい)一門の作とされるご本尊の不空羂索観音菩薩坐像を中心に、四天王立像、法相六祖坐像が安置
  • 西国三十三所観音霊場の第九番札所でもある
  • 通常は、公開されないが、年に1度 10月17日に開扉
  • 横には、鐘楼が置かれている

     

     

不動堂

  • 南円堂のほぼ真向かいに位置する小さなお堂
  • 火を焚きあげて行われる「護摩法要」が行われるため、堂内に安置されている不動明王さまなどの仏像のススをまとったお姿が拝観できる
  • お堂の前には「護摩木」が300円で販売されており、厄除け祈願ができる

     

一言観音堂

  • 南円堂のすぐ横にある小さなお堂
  • 内部には、一言観音様がお祀りされており、「一つの願いを真心こめてお祈りすると、その願いを叶えて下さる」という
  • 一言観音堂前の広場(南円堂の前でもあります)は、毎年4月17日に「放生会」が行われ、「生き物」を放つ儀式として桶に入れられた「鯉」や「金魚」が、読経の後、猿沢池に放流される

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遺跡 西金堂跡

  • 734年(天平6年)に、藤原不比等(ふひと)の娘でもある光明皇后が、母橘三千代(たちばなのみちよ)の冥福を願って建立された
  • その後、平安時代に2回、鎌倉時代に1回被災し、都度再建されたが、1717年(享保2年:江戸時代)の正月に、講堂からの出火によって中金堂や南円堂と共に被災し、以降は、再建されていない
  • 現在は、 西金堂跡として基壇上に石碑が残る状態。
  • かつては、東金堂と向かい合うように、西金堂が置かれていた(現存する東金堂とほぼ同じで規模の寄棟造であったと考えられている)


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  • 本尊釈迦如来(しゃかにょらい)像、薬王(やくおう)・薬上菩薩(やくじょうぼさつ)像、梵天(ぼんてん)・帝釈天(たいしゃくてん)像、十大弟子(じゅうだいでし)像、八部衆(はちぶしゅう)像、金剛力士(こんごうりきし)像、四天王(してんのう)像などが安置されていたと言われている
  • 被災の際に創建時の阿修羅(あしゅら)像を含む八部衆(はちぶしゅう)像や十大弟子像、法具の華原磬(かげんけい)、鎌倉時代の釈迦如来像の頭部や光背の一部、薬王・薬上菩薩像などは救い出された。

見逃しやすいポイントです

北円堂(国宝)

  • 721年(養老5年)に元明上皇、元正天皇が、藤原不比等の一周忌にあたり、長屋王に命じて建立したものといわれる
  • 1180年(治承4年)に被災し、現存の堂は、1210年(承元4年)頃に再建のもの(現在の興福寺で最古の建物
  • 三手先斗栱(みてさきときょう)が使われるなど、創建当初の姿が残されており、日本に現存する八角円堂のうち、最も美しいともいわれているようだ
  • 堂内には本尊の弥勒如来(みろくにょらい)坐像を中心に、無著(むじゃく)菩薩、世親(せしん)菩薩(いずれも運慶一門作)をはじめとして、木心乾漆四天王立像などが安置
  • 通常は、入堂できないが、年2回、春と秋に特別公開される

興福寺の中では西隅の目立ちにくい位置ですが、興福寺は、平城宮に近い高台にあり、当時この場所から平城京が一望できたと思われ、平城京造営に尽力した不比等を弔う場所としてふさわしいともいえるようです。

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三重塔(国宝)

  • 1143年(康治2年)に崇徳(すとく)天皇の中宮の皇嘉門院(こうかもんいん)聖子によって建立
  • 1180年(治承4年)の平氏の焼き討ちによって焼失
  • 現存の塔は、鎌倉前期に平安時代の優美な姿で再建されたものといわれる
  • 北円堂とともに興福寺で最古の建物
  • 毎年7月7日の「弁才天供(べんざいてんく)」のときのみ開扉

五重塔だけでなく、三重塔も見逃さないように

してください。

     

摩利支天石(まりしてんせき)・延命地蔵尊

  • 三重塔の向かいの芝に置かれている「巨石」が、「 摩利支天石(まりしてんせき)
  • かつては興福寺の子院「宝蔵院」に祀られていたもの。
    その後、個人邸にあったものが、1999年(平成11年)に、ここに移された(宝蔵院は、現在の奈良国立博物館(仏像館)の西側にあった興福寺の子院)
  • 奈良発祥の武術「宝蔵院流槍術(ほうぞういんりゅうそうじゅつ)」の開祖、宝蔵院覚禅房「胤栄」(いんえい)が武士に好まれる神「摩利支天」をお祀りしたものとされている

見逃しやすいですが、三重塔の前ですので

お見逃しなく。

また、仏像館の近くにある宝蔵院跡も

見逃さないようにしてください。

  • また、南円堂寄りの階段の側に、延命地蔵尊が祀られている

      

現在も進められる復元整備

興福寺では、現在も復元が進められています。
画像は、2022年(令和4年)時点の復元中のエリアです。
北円堂と仮講堂の間に鐘楼の基壇が再現工事中です。

     

花乃井跡

東金堂の裏手(東側)にあった井戸で、その標石が残っています。かつては、名水とされたようです。

     

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猿沢池

  • この池から眺める興福寺伽藍、特に、五重塔は、奈良の代表的な風景でもあり、池に反射する姿も風情があり、撮影スポットとしても人気
  • 猿沢池は、興福寺が放生会(ほうじょうえ:捕らえた生き物を池や野に放す行事)の為に造られた池といわれている
  • 猿沢池には、七不思議といわれる逸話もある
  • 猿沢池横から、南円堂に登る階段がある
  • 池の西側(現在のスターバックスの横)には、采女(うねめ)神社(春日大社の末社)がある
  • 社が鳥居と反対側を向いている珍しい配置
  • その昔、恋がかなわぬ采女(うねめ)がここに身を投じたという話が語り継がれている

社が反対側を向いているのは、采女が、身を投じた

猿沢池を見るのが忍びなく、一夜のうちに背を向け

てしまったという伝説が語り継がれています。

     

興福寺五十二段

  • 猿沢池の横から興福寺五重塔の近くに登る幅広い石段があります。これが、「五十二段」とよばれる階段です。
  • この階段は、実際に52段あり、菩薩修行の段位五十二位を表わし、段の上は仏界を意味するといわれています。

是非、一段一段、踏み締めながら登ってみては

いかがでしょうか。

     

菩提院大御堂

  • 菩提院は現存する興福寺の子院の一つ(五重塔から猿沢池側の道を挟んで春日大社寄りにある)
  • 現在の建物は1580年(天正8年)に再建のもの
  • 大御堂内には、ご本尊の阿弥陀如来(あみだにょらい)坐像<重要文化財>、稚児観音菩薩(ちごかんのんぼさつ)立像などが安置
  • 法相宗を中国から伝えた「玄昉(げんぼう)」や、平安時代の学僧である「蔵俊」が住んでいた院とも言われる
  • 昔、時を告げるものとして親しまれた「十三鐘(じゅうさんがね)」と呼ばれる鐘楼や、鹿を誤って死なせたために死罪となった子ども「三作」を弔う塚などもある

ここも、見逃しやすいポイントです。

入口の鉄の門が閉められている(鹿の侵入を防ぐ

ため?)ので、拝観される方が少ないポイントです。
そこを開けて入ることができます。

ここを拝観後、少し五重塔寄りに戻り、本坊、大湯屋

に向かうのがお勧めです。

     

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本 坊

  • 東金堂と五重塔の間を東(奈良国立博物館方面)に向かって進んだ所にある興福寺の寺務を執り行う場所
  • 表門は、天正年間(1573~1592)に建立されたもので、1907年(明治40年)に菩提院(ぼだいいん)の北側築地の西方に構えられていた門が移築された
  • 通常は、拝観はできませんが、三蔵会(さんぞうえ:2月15日)、涅槃会(ねはんえ:3月5日)のみ拝観できる

     

大湯屋

  • 本坊から参道を挟んで斜め前にあるかつて寺院の風呂場として使われていた建物(内部は非公開)
  • 大湯屋は、平安時代の文献で確認できるようだが、奈良時代に建てられた後、数回の被災・再建を繰り返しているよう
  • 現在の建物の再建年代は不明
    部材の特徴から、五重塔と同じ時期の1426年(応永33年)頃に再建されたものではないかと推定される
  • また、大湯屋の東側には何らかの建物があった痕跡が見られるようで、大湯屋で沸かした湯をその建物に送って蒸し風呂にしていたとか、そこで入浴・沐浴していたものではないかと推測されている
  • 大湯屋内部は床が敷かれておらず、南北に2つの「鉄湯釜(奈良県指定文化財)」が直接地面に据えられているようだ<非公開>

さっと通り過ぎてしいそうなスポットですが、周辺の苔むす庭と大湯屋の佇まいには美しさもあります。

4月下旬頃に、この辺り(登大路園地)には、奈良八重桜(ナラノヤエザクラ)が花開く姿が見られます。



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旧境内

宝蔵院跡

  • 奈良国立博物館の仏像館の裏側のエリアには、かつての「興福寺宝蔵院跡」の碑がある
  • 宝蔵院は、江戸時代には興福寺築地の外に立ち並んでいた子院の一つで、 柳生とともに知られる、 奈良発祥の武術「宝蔵院流槍術(ほうぞういんりゅうそうじゅつ)」の発祥の地
  • 1604年(慶長9年)には、この地に宮本武蔵が訪れ、手合わせを行った場所(手合わせしたのは、奥蔵院道栄)でもある

江戸時代には、この辺りに宝蔵院の他にも複数の子院が、立ち並んでいました。
また、時を遡ると、まさにこの場所に宮本武蔵が立っていた・・・そんな場所なんですね。

     

八重桜古跡(奈良八重桜)

  • 興福寺の見どころとして紹介されるケースは、ほぼないと思いますが、かつての興福寺の境内にあった奈良八重桜(ナラノヤエザクラ)にちなんだ旧跡
  • 県庁横のバスターミナル前にひっそりと石碑が置かれており、大通り沿いながら、見過ごしてしまいがちな碑
  • 平安時代、一条天皇時代、皇后の章子が、この桜を宮中に植え替えようとしたが、興福寺は、承諾せず、その代わりに、毎年宮中に奈良八重桜を届けるようになったという話がある。

詳しくは、こちら

     

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吉城園

興福寺の子院 摩尼珠院(まにしゅいん)の跡地
現在は、名勝依水園と隣接した庭園となっている
明治時代に民間の所有となり1919年(大正8年)に、現在の建物と庭園が作られ、昭和の終わりからは、奈良県の所有となり公開されている(入場無料)

摩尼珠院(まにしゅいん)の面影は、ありませんが、宝蔵院ととも興福寺に並ぶ子院の一つがあった場所です。
江戸時代は、この辺りまでが、興福寺境内で、東大寺との境目であったようです。

詳しくは、こちら

     

旧大乗院庭園

こちらは、興福寺の門跡寺院の大乗院(奈良県庁の所にあった)が南都焼き討ち後に、ここに移設されたものです。
(元興寺の子院のあった場所に移されたようです。)
鎌倉時代以降も、何度かの火災に見舞われますが、1465年(寛正6年)に、将軍 足利義政の命で作庭がはじまり1489年(長享3年)に伽藍整備が完了し、「南都随一の名園」を言われたようです。
現在は、敷地の一部であった江戸期の庭園が復元されています。

     

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興福寺へのアクセス

アクセス

所在地:
 奈良市登大路町48

最寄駅:
 近鉄 奈良駅、JR 奈良駅

近鉄 奈良駅 から

徒歩:
 約 5分

JR 奈良駅 から

徒歩:
 約 15 分

バス(奈良交通):
 市内循環(外回り)「県庁前」下車
 徒歩 約 3分

基本情報

拝観料・拝観時間:
 ・境内の散策は、無料
 (時間制限もなく、自由散策可能です)
 ・国宝館、各堂への入場は、
   9:00~17:00(受付終了16:45)

  拝観料は、以下の通りです。

拝観場所拝観料
国宝館700円
東金堂<拝観中止中>300円
(国宝館・東金堂(共通))900円
中金堂500円

※ 東金堂は、現在拝観できません。
※ 拝観料は、大人・大学生のものです。この他、中高生、小学生料金等があります。
※ 最新の情報と異なる場合がありますので、公式ページでの確認をお願いします。

興福寺 公式ページはこちら:

     

近隣の宿泊施設

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興福寺での行事・特別開扉

※ 開催要領については、変更になる場合がありますので、公式ページ でご確認ください

特別開扉等

開扉・参拝  時 期
北円堂:毎年 春・秋にの2回(一定期間)
南円堂:毎年 10月17日 のみ公開
五重塔:通常非公開 <改修中>
三重塔:毎年 7月7日 のみ 内陣公開
本坊・北客殿:毎年 2月15日、3月5日(10:00)
仮講堂:毎年 11月13日(19:00)

     

主な年中行事(拝観可能な行事)

行事名開催日<場所>
春日式参式(かすがさんしゃしき)1月2日<春日大社>
追儺会(ついなえ)2月(節分の日)<東金堂にて>
涅槃会(ねはんえ)2月15日 10:00~< 本坊・北客殿 >
三蔵会(さんぞうえ)3月5日 10:00~ < 本坊・北客殿 >
仏生会(ぶっしょうえ)4月8日 10:00~<南円堂前>
放生会(ほうじょうえ)4月17日 13:00~<一言観音堂・猿沢池>
薪御能(たきぎおのう)5月 第3 金、土曜日<南大門跡の芝>※ 主催は薪御能保存会
弁才天供(べんざいてんく)7月7日 10:00~<三重塔>
塔影能(とうえいのう)10月 第1土曜日<東金堂前>※ 雨天:奈良県文化会館
大般若経転読会
(だいはんにゃきょうてんどくえ)
10月17日<南円堂>
慈恩会(じおんね)11月13日 19:00~<仮講堂>
除夜の鐘(じゅやのかね)12月31日<南円堂・菩提院大御堂>

     

興福寺に関わる近隣の見どころ

興福寺に関係するところでは、南方向に「旧大乗院庭園」(平安時代から江戸時代に栄えた興福寺の門跡寺院のひとつ)、北方向には、「吉城園」(かつての摩尼珠院(まにしゅいん)の跡地)があります。いずからもかつての興福寺の規模が偲ばれます。
また、「奈良八重桜」の史跡(平安時代に宮中(京都)に植え替えようとした奈良八重桜は、興福寺境内で、この碑の辺りにあったといわれる)なども、石碑と小さな奈良八重桜が植えられているのみですえが、興福寺の名残を思いはせる場所でもあります。


もちろん、興福寺(藤原氏の氏寺)と関わりの深い春日大社(藤原氏の氏神を祀る神社)をはじめ、東大寺、奈良町(ならまち)など、奈良公園の一帯は、見どころ満載です。


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